北朝鮮は不思議な社会で、表向きは社会主義であるが、実情は庶民の爪の先まで資本主義が染みわたっている。忠誠を誓うだけで衣食住を保障してくれるはずだった党と指導者は、その責任を20年以上前に放棄した。100万人以上の餓死者を出し「苦難の行軍」と呼ばれた90年代中盤の大経済難の時代から、北朝鮮の庶民を食べさせてきたのは「商売」だった。
中学生と親が一緒に
鍋釜をトウモロコシと交換する原始的な物々交換からはじまり、農村への買い付けに行き市場で売るといった初歩的な商売、オートバイを利用した「輪タク」、そして中国からの密輸にいたるまで、あらゆる商売が庶民の生活を支えた。国家によるサービス供給が崩壊しているので需要も高く、庶民の経済網はわずか十数年で北朝鮮全土をおおうまでになった。
そしてその過程で、商売はしだいにシステム化してきた。特に流通面の進化が著しい。買い付けた品物を軒先に並べていただけだったものが、仲介業者が生まれ、品物を配達してくれるようになった。お金さえあれば電話一本で、韓国のテレビで宣伝している品物を北朝鮮まで取り寄せられるまでになった。
皮肉なことに、こうしたシステム化のあおりを庶民が受けている。今や「トンジュ(金主)」と呼ばれる10万ドル以上の大きな資本を動かす商売人が「おいしい商売」や「流通」を独占することとなった。日銭を稼ぐ庶民に残されたのは、実入りの少ない商売ばかりだ。デイリーNKの記者たちも「一種類の商売では食べていけない」という声をよく耳にしている。カネがカネを生む資本主義は、北朝鮮でも例外ではない。
そんな状況の中で、現金をガッポリ稼ぎたい庶民の最後のより所となっている商売が「麻薬の密売」だ。北朝鮮で麻薬といえば「ヒロポン」、つまりは化学的に合成されたメタンフェタミンを指す。「オルム(氷)」や「ピンドゥ(氷毒)」といった隠語でも呼ばれ、金持ちから庶民、老若男女に蔓延している。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面値段は末端価格で1グラム100元(約1500円)から120元(約1800円)。1グラムを10回から20回に分けて吸引する。2000年代に入り、「オルム」は庶民のあいだで急速に広まった。
平壌以外ではロクな娯楽施設もなく(あっても高くていけない)、味気ない生活のストレスを解消するものとして、運送や売春など、厳しい仕事をこなすための「強壮剤」として使われている。
(参考記事:コンドーム着用はゼロ…「売春」と「薬物」で破滅する北朝鮮の女性たち)また、最近では中学生までも親と一緒に吸引するようになった。大げさな話と思われるかもしれないが、こうした話は脱北者だけでなく、北朝鮮国内に住む人々も当たり前のように話す「常識」となってしまった。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面この「オルム」はもともと、北朝鮮屈指の化学都市、咸鏡南道の咸興(ハムン)市で密造されていた。その製法が全国に広まり、今や仕入れ価格は1グラムあたり50元(約750円)にまで値下がりした。密売人たちはこれを100グラムずつ仕入れる。そして、80元(約1200円)で小売り業者におろすか、100元以上で直接、利用者に売ることになる。1グラムで平均40元のもうけとした場合、1回の仕入れで4000元が手元に残る。これは4人家族の約1年分の生活費だ。
ローリスク・ハイリターンも…
こうした事情をデイリーNKジャパン編集部に明かしてくれたのは、今年の春に韓国入りした脱北者のキム氏(仮名、30代男性)だ。北朝鮮で2年以上にわたり違法薬物の密売で家族を養ってきたキム氏だが、見るからに不健康そうであった。目はくぼみ、顔色の土色だ。聞くと、「密売人は結局、自分でも『オルム』に手を出すことになるんです」ということだった。
「2年のあいだ、手元に常にオルムがあったので一度に1グラム以上吸引することもあった」とのことだ。商売のため、北朝鮮の名門大学を中退しなければならなかったストレスもあったというが、やり直すため、家族の助けを借り、韓国行きを選んだ。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面キム氏によると、違法薬物の密売は典型的な「ローリスク・ハイリターン」の商売だという。北朝鮮でも麻薬使用は違法で、最高死刑までもある厳罰である。しかし実際には、よほど多量でもない限り当局に逮捕されてもワイロを出せば見逃してもらえる。「起訴までされるのは全体の1割くらいでは」(キム氏)というのが実情だ。在庫もかさばらず、身軽な商売だ。
ただ、北朝鮮には麻薬中毒者を治療し、矯正するための施設がまったくないため、一度ハマってしまうと、どこにも逃げ場がない。キム氏のように商売をするうちに手を出して、薬物中毒、果ては廃人になるのがオチだ。一見ローリスクに見える商売も、じっさいはハイリスクなのである。ラクに儲けられる仕事はもはや見当たらない、という資本主義の現実は、北朝鮮とて例外ではないのである。
高英起(コウ・ヨンギ)
1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 、 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 、 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。