韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領が民間人である崔順実(チェ・スンシル)氏に機密文書を漏洩した疑惑、いわゆる「崔順実ゲート」をめぐって、韓国メディアが様々な新情報をもたらしている。
インチキ宗教
崔氏は長年に渡って裏で朴大統領を操ってきたとして「影の実力者」と言われている。
韓国の有力紙・ハンギョレ新聞は、崔氏が朴槿恵政権の対北朝鮮政策にも深く介入していた疑惑を報じた。だとすると朴大統領の対北朝鮮政策に崔氏の「お告げ」が影響を与えていた可能性が出てくる。崔氏の父は「インチキ宗教家」であり、本人はもムダン(シャーマン)として、朴大統領を操っていたという説があるからだ。
地雷で吹き飛ぶ兵士
一国の大統領が、安保政策において占いに頼る──あまりにも馬鹿馬鹿しい話だが、それほど対北朝鮮政策において朴大統領が下した指示が、専門家や政府関係者にとって首をかしげるものが多かったというのだ。その一つが、対北心理戦の一環として行われてきた対北拡声器放送をめぐる対応だ。
北朝鮮向けのプロパガンダ放送を流す対北朝鮮拡声器放送に対して、北側は体制を揺るがしかねない重大な脅威として何度も中止を求めてきた。2004年6月15日、当時の盧武鉉大統領は拡声器を撤去し、放送を完全に中断させた。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面しかし、2015年8月4日に軍事境界線で北朝鮮が埋めたとされる木箱地雷が爆発し、韓国人兵士2人が重傷を負う事件が発生。朴槿恵政権は、報復として8月10日午後5時から11年ぶりに拡声器放送を再開し、北朝鮮は「全面戦争も辞さない」(8月21日の外務省声明)などと激しく反発し、南北の緊張が高まった。
(参考記事:【動画】吹き飛ぶ韓国軍兵士…北朝鮮の地雷が爆発する瞬間)愛人ホストらが指図
事態打開のために開催された8月25日の南北高官会談では、北朝鮮が「遺憾」の意を表明し合意する。そして、拡声器放送は中止されたが、朴槿恵政権は今年1月6日に行われた北朝鮮の第4次核実験の報復として、翌日に放送の再開を決定した。複数の政府関係者は「性急な決定」との反応を示していたにもかかわらずだ。
この決定が、崔順実氏の意向によるものだった可能性があるという。さらに、南北の数少ない交流事業の一つだった開城工業団地が閉鎖された件についても、不自然な点が多いという。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面韓国大統領府も政府も当初は「開城工業団地の閉鎖は、制裁の手段ではない」との姿勢を示していた。2月7日の国家安全保障会議では、閉鎖の件は全く議論されなかった。ところが、10日の国会安全保障会議で急遽閉鎖が決定される。決定以前の8日または9日に、朴大統領が独断で閉鎖を決断していたというのだ。
この突然の発表によって工業団地で操業していた企業は、生産設備などを残して撤収せざるを得ない状況に追い込まれ、莫大な損失を被った。ハンギョレによると、ミル財団のイ・ソンハン事務総長が、崔氏やその愛人の元ホストらが参加していた裏の閣議、俗に言う「秘線会議」で工業団地閉鎖の件も議論されていたと証言したという。
崔氏の友人によると、彼女はこの時期、「今後2年以内に朝鮮半島が統一される」と口にしていたという。そして、最近の朴大統領の言動や対北強硬姿勢の裏には、崔氏の「お告げ」を基にしたアドバイスがあったのではないかという見方が強まっているのだ。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面ちなみに韓国では占いが盛んだが、同じ事は北朝鮮にも言える。北朝鮮は建前上は社会主義国家であり、占いなどの非科学的な風習を一切禁じている。しかし、90年代中頃からはじまった大飢饉によって社会不安が蔓延したことを背景に、盛んに行われるようになった。
トンジュと呼ばれる新興富裕層は、大きなビジネスに取り組む前に「商運」を、金正恩氏の恐怖政治に怯える高級幹部たちは自分たちの行く末を、さらには金正恩党委員長についても占ってもらう。その結果、ある占い師の「お告げ」から、「金正恩2019年終末論」が拡散したこともあるぐらいだ。
もしかすると、朴槿恵大統領はなんらかの不安感にさいなまれ、崔順実氏の「お告げ」に頼ったのかもしれない。だとすると、実にお粗末な政策運営だ。なによりも朴氏の大統領として資質を疑わざるをえないことを「崔順実ゲート」は物語っている。
高英起(コウ・ヨンギ)
1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 、 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 、 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。