韓国では5歳の子供でも格好よくできる一般的な踊りだが、北朝鮮では誰もがむやみに踊ることはできない。北朝鮮が「黄色い風」や「自由化」を阻むための閉鎖政策をとっているせいである。だが、政府がいくら阻もうとしても、ダンスは北朝鮮を訪問する外国人やテレビで放映される外国映画などを通じて、北朝鮮の住民の間に浸透している。
北朝鮮の住民は政府の統制のため、専門的なダンス教育を受けることはできないが、親しい友人や親戚どうし集まって楽しむ場所では、音楽に合わせてあまり上手とは言えないけれども、思い思いに真似て踊り楽しむ。
1990年以前は、北朝鮮の住民も非公式の遊びの集まりで食べて飲みながら、興に入ると立ち上がって朝鮮風のダンスを踊っていた。当時市民が楽しんだ踊りの振り付けはほとんどが昔から伝わるもので、肩を張って両腕を上げ下げしたり、片腕を肩にあててもう片腕を腰にあてたり横に上げるというものだった。
1990年代に入り、ディスコが流行るようになった。酒宴の席で踊りが始まったら、若者たちはディスコダンスを踊って楽しんだ。けれどもこうした踊りも長続きせず、金日成が死亡した後、哀悼の雰囲気が強制されてディスコは消えてしまった。