金正恩党委員長と北朝鮮を語る時、必ず出ると言っていい疑問が「金正恩氏は、権力固めができているのか?」だ。
1984年生まれで32才の若者に過ぎない金正恩氏が、最高指導者として核・ミサイルをひっさげて、米国をはじめとする世界と真っ向から渡り合っているという構図を見ていると、確かに北朝鮮政治内で、彼とは別の何か大きな力が働いていると思わざるをえない。
対北情報筋や北朝鮮を分析する研究者の間でも、このあたりに対する分析と評価は真っ二つにわかれており、決定的な答えは未だに出ていない。しかし、正恩氏を固める側近たちの動向をつぶさに見ていると、おぼろげながら金正恩体制の権力構造の内部で何が起きているのか、見えてくる。
側近すら残虐に処刑
まず、北朝鮮という国は、外側からは出世街道に乗っているように見えても、どれだけ体制に忠誠を誓っていても、「一寸先は闇」だ。金正日時代の2011年、北朝鮮の治安当局の一角、国家安全保衛部(秘密警察)の副部長だった高官・柳敬(リュ・ギョン)氏ですら、一家全員が悲惨な末路を迎えた。その粛清劇の糸を裏で引いていたのは、当時、権勢を振るっていた叔父の張成沢(チャン・ソンテク)氏。
張成沢氏は、若い金正恩氏を支える側近として、不動の地位を固めたと見られていたが、その彼も2013年に粛清される。張氏は、公式メディアに連行される姿が掲載され、「犬にも劣る」と罵倒された。そのうえで、即時処刑されるなど、北朝鮮史上、類のない粛清劇だった。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面その張氏の粛清に深く関わったと見られている側近中の側近・馬園春(マ・ウォンチュン)氏でさえも、2014年11月から約1年間、「革命化」という、島流しのような処分が課された。馬氏は、予想以上に早く中央に復帰したが、革命化の間には、玄永哲前人民武力部長(国防相)が、無残に処刑された。馬氏が恐怖に体を震わせながらその知らせを聞いていただろうことは想像に難くない。
変態幹部は登用
金正恩体制で、次々と側近を粛清・処刑されるなか、比較的エリートとしての地位を維持してきたのが「パルチザン2世」たちだ。パルチザン2世とは、祖父である故金日成主席を抗日パルチザン時代から仕えてきた側近たちの2世だ。正恩氏が、金日成を始祖とする抗日パルチザンの一族「白頭の血統」を、体制正当化の拠り所としているだけに、重要視せざるをえないのかもしれない。
例えば、現在、リオデジャネイロで行われている五輪に派遣されている崔龍海(チェ・リョンヘ)氏は、女性問題などで数々のスキャンダルを起こしてきたにもかかわらず、失脚と復活を繰り返してきた。政治家としてよりも、白頭の血統を象徴する存在として不可欠なのかもしれない。
(参考記事:美貌の女性の歯を抜いて…崔龍海の極悪性スキャンダル)信念捨てれば歴史のゴミ
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面一方、パルチザン2世といえど決して安泰とはいえないようだ。彼らを代表する呉振宇(オ・ジヌ)前人民武力部長の息子である呉日晶(オ・イルチョン)氏、故金日成氏の護衛司令官を務めた呉白龍(オ・ベクリョン)氏の長男で呉琴鉄(オ・グムチョル)氏、そして次男の呉鉄山(オ・チョルサン)氏の朝鮮労働党内における地位が低下したという分析が韓国メディアから出ている。
こうした動向を裏付けるものとして、朝鮮労働党の機関紙・労働新聞は昨年11月、「革命の信念は自然に遺伝されるものではない。信念を捨てた人間は、かつての社会的地位があったとしても、歴史のゴミとして捨てられるのが革命闘争の教訓」という社説を掲載。「パルチザン2世」に対して暗にけん制していると見られる。
金正恩体制が抱えるジレンマ
冒頭の問いに対して筆者なりの見立てを述べると、金正恩氏は「ある程度」の権力固めはできていると思われる。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面そもそも、北朝鮮体制は全体主義と独裁主義、そして世襲体制の三つを併せ持った現代史上、類を見ない「首領独裁制」という国家体制を前提にしている。指導層で多少の権力闘争はあれど、首領独裁制を脅かすほどのものではない。ましてや「軍のクーデター」などありえない。
しかし、ここに金正恩体制が抱えるジレンマが生じる。民主国家とちがい、独裁体制における権力固めに不可欠なのは「恐怖政治」だ。これが、エリート層の無気力と脱落、そして脱北を生み出し、結果的に、権力の空洞化を生み出しかねない。強権を振るえば一時的に権力を固めることができる、しかし中長期的に体制が弱体化せざるをえないーーこれが、金正恩体制が抱える最大の不安要素ともいえる。
高英起(コウ・ヨンギ)
1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 、 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 、 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。