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実際、北朝鮮当局は国際社会に食糧支援を働きかけていた。その動きをつぶしたのが、実は金日成氏だったと北朝鮮外交に精通した脱北者は明かしている。

この脱北者によると、食糧事情の悪化が顕著になりはじめた1991年、北朝鮮当局は金正日氏の許可を得て、国連世界食糧計画(WFP)の代表団を招請した。WFPは食料事情を視察後、支援に関連する資料を要求するも、北朝鮮の中央統計局は断固拒否。その裏にあったのが金日成氏の意向であり、同氏は「北朝鮮の国家秘密を探り、体制を崩壊させようとする下心を抱いた代表団を引き寄せた」として、実務担当者らに厳罰さえ与えたという。結果として当然、支援は受けられなくなる。

その後も食糧支援に関する提案はタブーとなり、いくら食糧事情が悪化しても、国際社会に助けを求めることが出来なくなった。彼が支援を拒んだ理由は、北朝鮮が海外から食糧支援を受ければ、食糧の自給自足と経済的自立を誇りにしてきた北朝鮮住民を失望させ、国の権威と威信を傷つけるーーすなわち自らの失政を認めることになるからだった。

これに対し、元々支援受け入れに前向きだった金正日氏は、日成氏が死去した翌年の95年、食料支援を受けることを許可する。食糧事情がいっそう悪化していた背景もあると見られるが、その選択には一定の評価を与えることはできる。ただし、それほど状況が悪化するまで、支援受け入れ以外に手を打てなかったことに対する責任は逃れられない。

こうした経緯を踏まえると、金正恩氏が36年ぶりの党大会を開くからには、金日成氏が引き起こし、正日氏が解決できなかった「苦難の行軍」の総括は不可欠のはずだ。しかし、正恩氏が7日に発表した事業総括報告では、都合の良い言い訳のみが並べられている。

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苦難の行軍の原因を、米国をはじめとする対立陣営の「政治軍事的圧力と戦争挑発策動」や「経済的封鎖」、そして「自然災害」などの外的要因に求め、金日成氏の失政に関しては一言も述べていない。

そのうえで、金正日氏が先軍政治を実施することによって、経済難を克服したと総括。