北朝鮮、核実験を示唆する不気味なメッセージ

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36年ぶりの朝鮮労働党第7回大会を前に、北朝鮮が核実験を強行する可能性が指摘されている。

米韓当局は、核実験場周辺をとらえた偵察衛星から、豊渓里(プンゲリ)の核施設で車両や人員、装備の活動が活発化していると分析し、動向を注視。「北朝鮮が第5次核実験をいつでも行うことは可能だ」と警戒を強めている。

一方、北朝鮮側からも核実験を匂わすシグナルが発信されている。

核実験前日の予告

北朝鮮は今年1月6日、電撃的に第4次核実験を強行した。実は、その前日に、国営メディアの朝鮮中央通信は論評のなかで「核抑止力」を正当化する主張を展開していた。抜粋して引用する。

米国の核恐喝を撃退するためにわが共和国が核を保有してそれを法化し、新たな並進路線に従って絶えず強化するのはあまりにも当然なことである。 絶え間なく増大する米国の核脅威こそ、われわれを核抑止力の強化へ進ませた根本要因である。

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「われわれを核抑止力強化へ進ませた根本要因」(2016年1月5日付 朝鮮中央通信論評より)

論評を目にした筆者も核実験を行うとはまったく予想しておらず、いささか唐突な感じを受けた記憶があるが、翌日の核実験に向けた予告だとすると腑に落ちる。1月6日というタイミングについてはナゾが残るが、金正恩氏の誕生日(1月8日)に向けた祝砲という意味合いも考えられる。

そして、4月30日と5月1日、朝鮮中央通信は核保有を正当化する二つの記事を配信した。まずは外務省スポークスマンの談話を一部抜粋して引用する。

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核には核で立ち向かうのが、われわれの自衛的対応の中枢である。 われわれが敵対勢力の宣戦布告と威嚇行為に自衛的措置で対応するのは、国連憲章にも明示されている主権国家の合法的権利として、国連安保理もこの権利を絶対に侵害することはできない。

敵が仕掛けてくる侵略戦争に正義の戦争で、核戦争の威嚇に核抑止力の強化で応えるわれわれの気質は、今後も変わらないであろう。

「核には核で立ち向かうのが共和国の自衛的対応の中枢」朝鮮外務省代弁人談話(2016年4月30日付 朝鮮中央通信より)

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同日、北朝鮮政府、政党、団体は連合声明を発表(配信は5月1日)し、このなかでも核武装路線の貫徹を強調した。

こんにち、われわれは用を足して持つべきものはすべてを保有し、米国の核優位と核覇権に堂々と立ち向かえる実質的手段をすべて備えた名実相伴う核強国の地位に上がった。 わが共和国に対する敵対と侵略脅威が核恐喝と共に持続する限り、この地球上で不義と悪の禍根である帝国主義が残っている限り、われわれはすでにとらえた正義の核の霊剣をいっそう鋭く研ぎ、自主も正義も核で守り、その威力で国の統一と民族繁栄の新時代を開いていくであろう。 「朝鮮政府・政党・団体が先軍朝鮮の百勝の神話は永遠であると宣言」(2016年5月1日付 発朝鮮中央通信より)

放射能汚染が進む北朝鮮

北朝鮮が核実験を強行するとすれば、労働党大会(5月6日)前後が、最も可能性が高いが、本稿を書いている時点(5月2日)では、まだ行われていない。また、米ジョンズホプキンス大の北朝鮮専門サイト「38ノース」は、「核実験が近づきつつあるのか見極めるのは難しい」と報じており、予断を許さない状況は、今しばらく続くとみられる。

こうしたなか、筆者としては、金正恩氏が「核実験を行わない英断」を下すことを望む。

なぜなら核実験そのものが、北朝鮮の庶民たちに、政治的にも経済的にも多大なる負担を強いているからだ。また、度重なる核実験によって、実験場周辺は放射能による土壌汚染が進んでいる。さらに、核施設では、政治犯が動員され、被ばく労働を強いられているという情報すらある。

金正恩氏にとって核・ミサイルは大成果かもしれないが、北朝鮮庶民たちにとっては、迷惑以外のなにものでもない。

高英起(コウ・ヨンギ)

1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

脱北者が明かす北朝鮮 (別冊宝島 2516) 北朝鮮ポップスの世界 金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 (宝島社新書) コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記