彼らはここで数日あるいは数ヶ月拘留される。時にはこれらが送還された人たちが刑を実行される場所になることもある。拘留所の状態は非人間的である。収容者たちにわざと飢餓を課す方策は続いている。
- ある証人は調査委員会に、彼女が尋問拘留所に拘留されていた時、一日にスプーン2杯のトウモロコシとボウル一杯の大根のつけものスープを受け取ったと話した。
彼女は2m四方の部屋に約10人でいれられた。地面の穴がトイレとして使われ、拘留者は穴を使う前に、看守に許可を求めなければならなかった。許可なしで使用して捕まったら、拘留者は部屋から引きずり出され、看守に打たれる。もし、拘留者が叫んだり、憐れみをもとめたりしたら、殴打はもっと増えるだろう。証人は第二拘留施設に5ヶ月拘留された。その後、罪を償う場所に移された。
- 尋問が終わったあと、ある証人は清津拘留所に送られた。彼女はそこに1年拘留させられた。というのは人民保安軍の役人が彼女の故郷から迎えに来なかったからである。罪が宣告されることなく、彼女は強制労働やイデオロギー訓練につかされた。
彼女はシラミがたかった部屋で熱が出て、死にそうだった。
- 他の証人は委員会に、清津尋問拘留所で5ヶ月過ごした、と話した。そこでの生活は恐ろしく大変だった。収容者は一日に3回スプーン5杯のゆでトウモロコシを受け取っただけであった。野菜も塩もなかった。お湯も受け取った。証人は中国製の洋服を他の収容者が親戚によって送られた余分な食料と交換した。成人は強制的にレンガ積、木材の伐採、農業で一日10時間厳しく働かされた。もし、彼らがその日のノルマを果たせないと、彼らはもっと長く働かなくてはならなかった。当局は、彼はまだ子供だと考えたので、その証人は免除された。彼は、個人的にこの尋問拘留所で、彼がいた間に13人亡くなるのを目撃した。彼らの遺体は包まれて、ほかの収容者に恐怖をしみこませるため、数日放置された。看守たちは言った、「国を捨てるとこうなるんだ」。