明確には書かれていないが、29年の来日ということから推察すると、「強制連行」ではなく、当時は一般的だった済州島からの出稼ぎと思われる。そして、大阪の「広田裁縫所」を調べたところ、正式名称は「廣田縫工所」であることが判明。既に45年の空襲で焼失したが、幸い経営者に近い人物が存命であったため、当時の話を聞くことが出来た。
そこから浮かび上がってきたのは、まさに北朝鮮が隠さなければならない高ギョンテク最大の「汚点」だった。
「設立当初は、民間の裁縫工場でカッターシャツなどをつくっていました。朝鮮半島から来た従業員もたくさんいましたよ。朝鮮人従業員も一緒に仲良く奈良へ遊びに行ったこともあります。チマ・チョゴリを着た女性達と楽しそうに記念写真も撮影しました。1938年頃に、陸軍管理となり軍需被服工場になります。それからは軍服や天幕(軍用テント)をつくっていました」(廣田裁工所の関係者)
直視できない経歴
高ギョンテクは、陸軍管理の軍需工場の労働者——つまり、「日本軍協力者の一人」だったのだ。これは北朝鮮の尺度からすると「親日派」となり、明らかな「汚点」だ。しかも皮肉なことに、その「汚点」は北朝鮮の公式メディアによって明かされていたのである。