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北朝鮮の植樹節(みどりの日)は元々4月6日だった。故金日成主席が1947年のこの日、平壌郊外にある紋繍(ムンス)山に登ったことから定められたものだが、故金正日総書記は1998年に、3月2日に変更してしまった。

金日成氏が、金正淑(キム・ジョンスク)夫人と幼子だった自身と共に平壌の牡丹峰(モランボン)に登り、「山と野に木を植えることについて」という指示を出したのが1946年のこの日だったからだ。

ところが、金正恩総書記は2022年10月、植樹節を3月14日に変更した。その理由は、「森林復旧ののろしをあげた偉大な首領金日成同志の不滅の業績を長く輝かしめるため」だとのことだが、金日成氏は1952年のこの日、朝鮮戦争中の米軍の爆撃で丸裸になってしまった山々に木を植える全群衆的な運動を繰り広げよと命じた。

金氏一家は、緑化事業すらも自身らの神格化に利用して、都合に合わせて日にちをコロコロ変えてきたということだ。

しかし、この緑化事業は、むしろ山林を破壊する行為だとの指摘が後を絶たない。咸鏡北道(ハムギョンブクト)のデイリーNK内部情報筋が伝えた。

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清津(チョンジン)市では3月5日、市内のすべての機関、企業所、学校、人民班(町内会)に対して、木を植えよという命令が、朝鮮労働党咸鏡北道委員会から下された。

その対象は山だけではなく、市内の道路沿いも含まれているが、苗木ではなく、短くとも高さ2〜3メートルの木を植えよというものだ。

荒廃していた近郊の山には、ここ10年で木が植えられたが、その周囲では安全員(警察官)が見張っている。それはなぜか。

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適当な高さまで育った木を見つけるのは決して容易くない。そこで、植樹を任された人は、近郊の山に生えている木を引っこ抜いて、移動させて植えようとする。安全員はそうはさせじと目を光らせているわけだ。摘発されたら、最悪の場合、刑務所行きとなる。

(参考記事:若い女性を「ニオイ拷問」で死なせる北朝鮮刑務所の実態

そこで市民は、市内から15キロ以上離れた山奥まで足を運び、木を抜く。

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当局は、市内に植えるための木を抜いてもいいところを指定しているが、市内から100キロ以上離れている。

「工場は、各職場(部署)に数人一組になって、植樹節に植える木を抜いてくるよう指示したが、指定された場所があまりにも遠く骨が折れるため、できるだけ近くの山から抜いてくる」(情報筋)

木の移植には、それなりの知識と技術が必要だが、上から言われて適当に植えただけの木が長持ちするわけもなく、7割以上が枯れてしまうという。

「木を植えても管理がきちんと行われてないので枯れてしまう。毎年の植樹節にあれだけ木を植えたのに、市内のどこにもみどりのあふれる場所がない」(情報筋)

(参考記事:「山火事防止」が利権に化ける北朝鮮の森林保護策

米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)の咸鏡南道(ハムギョンナムド)情報筋も、植樹がやっつけ作業として行われている現状を伝えた。

利原(リウォン)郡当局は、今年の植樹節に革命史跡地、革命戦績地(金日成氏と革命ゆかりの地)に木を植えるように、木の種類、高さ、太さなどを決めて命じた。

情報筋の勤める職場は松とモミの木を4本植えるようにノルマが課された。邑(ウプ、郡の中心地)から20キロ離れた山が郡当局から指定された木を抜く場所で、むしろ10枚、縄150メートルを持参し、総勢20人でトラックに乗って向かった。

木を抜いてむしろで包んで持って返ってきたが、荷をほどいてみると木の状態はひどいものだったという。

「木をきちんと抜かなかったせいか、根を包んでいたむしろを除けてみると、根の回りの土が全部なくなっていた。こんな木は植えても育たないので、幹部は植樹をやめさせるべきだった」
「移植するなら、きちんと根が張って育つように気をつけなければならないが、一度に多くの木を適当に抜いてくるので、こんなことになる」(情報筋)

こんな状況で、毎年同じ場所に木を植えることになる。つまり、1年も持たずに枯れてしまうということだ。皆が口を揃えて意味のない作業だと言っている。

本来なら、養苗事業所が木を育てて供給しなければならないが、それができておらず、単に形式的なものになってしまっている。山が丸裸になってしまうことは言うまでもない。

(参考記事:北朝鮮「植樹戦闘」用の苗木、安値で中国に輸出される

緑化事業そのものは非常に意味があることだ。韓国の山林庁の推計によると、北朝鮮の山林842万ヘクタールのうち、2割近い147万ヘクタールが荒廃化している。また、国連食糧農業機関(FAO)は、2020年までの30年で、平壌市の面積の5倍にあたる92万4500ヘクタールの山林が荒廃化したと推計した。

食糧難で生き延びるための開墾、薪の切り出しが原因で、元をたどると故金日成氏が提唱した「全国段々畑化計画」が元凶だ。保水力を失った山は雨が降るたびに崩れて、近隣の海も荒廃化した。

植樹は災害防止、農業生産量の増大、漁業の復興につながるが、緑化事業が形式的に行われているため、山林の復旧は遅々として進まない。