「次世代への愛」を掲げ、「子どもを大切にするアピール」に余念がない金正恩総書記。かつて故金日成主席の呼称の枕詞として使われていた「オボイ(父母)」という言葉を、自身に対しても使わせるようになったことから、家族国家思想の家長として君臨しようという目論見が垣間見える。
国営朝鮮中央通信が今年1月10日に配信した「助け合い、導き合う美風が国風となっているわが社会」という記事にも、それが色濃く現れている。以下、一部抜粋する。
敬愛する金正恩総書記を慈父としていただいた社会主義大家庭に互いにいたわり、思い合う徳と情が満ち溢れる時、わが国はそれだけいっそう強くなるという忠誠と愛国の心に深くてたくましい根源を置いているのである。
なお、記事中の「慈父」は、朝鮮語の記事で上述の「オボイ」となっている。
金正恩氏は、「家長」としての役割にも非常に熱心で、孤児院の整備もその一環と言えよう。就学前の孤児を収容する愛育院、小学校に相当する初等学院、中学校に相当する中等学院を各地に建設させた。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面だが、金正恩氏の真の姿は「慈父」ではなく「毒親」だ。
平安南道(ピョンアンナムド)のデイリーNK内部情報筋によると、当局は道内の中等学院にいる孤児70人からなる「平安南道速度戦突撃隊」を立ち上げ、首都・平壌の西浦(ソポ)地区の住宅建設現場に送り込んだ。突撃隊とは、自ら志願した形を取っているが、実際は半強制的に参加させられる、建設労働のボランティア部隊だ。
実際、別の情報筋によると、中等学院の子どもたちは「親のいないお前たちを育ててくれた(朝鮮労働)党の配慮に恩返しすべきではないか」と、突撃隊への志願を強いられたという。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面このことが明らかになったのは、朝鮮労働党平安南道委員会の会議で、西浦地区の住宅建設支援問題を議論しているときに、ある幹部が「突撃隊として派遣された孤児たちに食べ物だけでも送ってやろう」と提案したのがきっかけだった。この事実を知らなかった幹部もいたようで、「かわいそうな孤児たちを建設現場に動員するのはやりすぎだ」と裏で批判する者もいたとのことだ。
それは、孤児たちの運命を知っているからだろうか。
(参考記事:「手足が散乱」の修羅場で金正恩氏が驚きの行動…北朝鮮「マンション崩壊」事故)
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面当局は、孤児を様々な建設現場に動員している。事故が多発する北朝鮮の建設現場だが、孤児ならば死亡したとしても、「遺体を引き渡せ」「補償を出せ」と問題提起する遺族がいない。またこうした問題が起きれば、現場の誰かが詰め腹を切らされることになるが、孤児なら密かに葬ってしまえば問題になりにくい。つまり、「都合の良い使い捨て労働者」であるということだ。
2015年11月、両江道(リャンガンド)の白頭山観光鉄道の建設現場で、土砂崩れが起き、作業員13人が死亡する惨事が起きたが、復旧に当たった女性同盟のメンバーからはこんな声が聞かれたという。
「幹部の息子が死んだりしたら大騒ぎしただろうに、死んだのは孤児だから何事もなかったかのような扱いだ」
(参考記事:「死んだのは孤児だから…」金正恩体制支える奴隷労働の生々しい実態)だが、彼らのすべてが「やられっぱなし」であるわけではない。路上生活を経て中等学院に強制収容されたコチェビ(ストリート・チルドレン)は、すきを見て逃げ出し路上生活に戻り、捕まってまた収容されるの繰り返しだ。
中にはその悪循環から抜け出し、成功する人もいる。脱北して韓国にたどり着き、国会議員まで登りつめた池成浩(チ・ソンホ)氏がその代表例だろう。孤児を死ぬまで酷使する「慈父」である金正恩氏の独裁体制より、メインストリームに受け入れる韓国社会の方が「慈しみがある」と言ってもあながち間違ってはいないだろう。
(参考記事:金正恩が身寄りのないコチェビの「最終処理」に乗り出した)