韓国紙・東亜日報記者で、脱北者出身のチュ・ソンハ氏が自身のYouTubeチャンネルで、北朝鮮の金正恩総書記が父の時代に出来た「喜び組」を引き継ぎ、選抜組織の名称を変えて存続させていると解説している。
「喜び組」の選抜組織は中央党(朝鮮労働党中央委員会)の「5課」として知られてきたが、現在では4課、あるいは6課に変わっているという。
日本でもよく知られた北朝鮮の「喜び組」だが、これは北朝鮮で使われている用語ではなく、その定義も、単に金氏一家の前で歌って踊るだけの存在なのか、性上納を強いられる存在なのか明確でない。
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ただ、その由来や選抜システムについては概ね明らかになっている。以下はチュ氏の解説だ。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面「喜び組」の歴史は1970年代中盤まで遡る。1976年ごろに5課が誕生した。当時、公式の後継者として選ばれて間もなかった金正日氏が、父・金日成主席の長寿のためだとの口実で、全国から女性を選抜するために作った部署だ。実際に動いていたのは、金正日氏の妹の金慶喜(キム・ギョンヒ)氏の夫に当たる張成沢(チャン・ソンテク)氏だ。
5課の要員は、全国の学校を回り、美女と呼ばれる女性を1次審査を行う。続けて、郡、区域レベルで身体検査を行い2次審査を行う。ちなみに選ばれるのは女性だけではなく、男性も含まれ、彼らは金正日氏の親衛部隊となる。
2次審査を受けたことがあるというチュ氏は、その様子を次のように語っている。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面「私も学校に通っているころ、2次審査を受けたことがある。授業時間に男性数人が入ってきて、周りを見渡して『お前、立て』と言って、教室の後ろに立たせる。背格好を見定めて、午後に校長室に来るように言って出ていく」
「校長室に行ってみると、卒業を控えた生徒と、下の学年の生徒も来ていた。学校で美人だと言われていた女性は全員来ていた」
学校での審査が終わると、郡や区域の病院で結核や感染症にかかっていないかを検査する。合格した者は道レベルで身体検査を受ける。検査項目には処女であるかどうかも含まれる。そこで選ばれた者は首都・平壌でさらに検査を受ける。この時点で50人ほどが残っている。自らの意志とは関係なく選ばれた北朝鮮最高の美女たちだ。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面彼女らの情報は冊子にまとめられる。1人あたり3ページを使い、最初のページには正面、側面、全身の写真数枚、2ページ目には生い立ちや家族に関する情報、3ページ目には「将軍様に忠誠を尽くす」という血書という構成だ。
金正日氏は、50人分150ページの冊子に目を通し、そこから10人を選ぶ。そして、2〜3人ずつ呼んで共に食事をした後、最終的に2人を選ぶ。彼女らは金正日氏の身辺の世話はもちろん、狩りに出かけたり、水泳をしたり、カラオケに行ったりするなど、金正日氏と共に時間を過ごす。まさに大奥の奥女中のような存在だ。一方、最終審査で脱落した者は、交通安全員(交通警察)や海外派遣要員になる。党幹部たちの愛人として囲われるケースもあったようだ。
(参考記事:北朝鮮、セクハラと不倫に走る権力者たち…愛人関係が「革命政府」? )金正日氏は、非常に派手な女性関係で知られているが、それがたたったのか、50歳だった1992年ごろに性関係を持てなくなった。1994年に2人が選ばれたのを最後に、女性が選ばれることはなくなった。
(参考記事:金正日の女性関係、数知れぬ犠牲者たち)金正日氏が亡くなった翌年の2012年、喜び組選びが復活した。金正恩氏が再稼働させたのだ。選ばれた女性たちは、性上納を強いられるだろうが、最高機密扱いだった5課の存在が知られるようになり、幹部らは自分の娘は5課に選ばせまいとするようになったようだ。
(参考記事:「革命の血を濃くしたい」金正恩氏がかき集める“贈り物美女”たち)