祖父想いの10歳少年を「抜け殻」にした金正恩の”真の愛”

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岡田更生館事件をご存知だろうか。終戦直後、戦災孤児やホームレスを大々的に受け入れ、模範施設と讃えられていた岡山県の岡田更生館。ところが、収容された人々は不衛生な施設でまともに食事を与えられないまま、強制労働に苦しめられていた。逃走を図ったり反抗したりした者には暴力がふるわれ、次々に死に追いやられたという恐るべき事件だ。

同様の事件は韓国でも起きている。釜山の兄弟福祉院は、3000人もの孤児やホームレスを劣悪な環境で収容し、1975年から1987年までの12年で513人を死に至らしめた。いずれも共通するのは、自治体と協力して、孤児やホームレスを手当り次第に捕まえていたことと、数合わせのために関係のない人まで捕まえていたという点だ。

「親を失った子どもたちの真の親になる」と買って出た北朝鮮の金正恩総書記は、コチェビと呼ばれるホームレス、ストリート・チルドレンを収容する保育院、愛育院、初等学院、中等学院などを次々と建てさせた。同時に、コチェビを強制的に収容する施策が進められているが、過去に日本や韓国が犯した過ちを繰り返すような状況となっている。咸鏡北道(ハムギョンブクト)のデイリーNK内部情報筋が伝えた。

(参考記事:掘っ立て小屋を「焼き討ち」する北朝鮮の浮浪児対策

事件が起きたのは昨年末、東海岸の大都市、清津(チョンジン)でのことだ。

市内の羅南(ラナム)区域に住む10歳の少年は、祖父が危篤だとの知らせを受け、浦港(ポハン)区域の祖父母宅に駆けつけ、祖父を見守り続けた。残念ながら数日後に祖父は亡くなくなったが、そのことを両親に知らせるために、通勤バスに乗ろうとした。そこで、コチェビ常務(取締班)によってコチェビと間違われ、連行されてしまった。

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祖父の葬儀が行われたが、少年が姿を見せず行方不明になってしまったことで、衝撃を受けた祖母は倒れてしまった。両親はほうぼうを探し歩き、捜索願を出そうと安全部(警察署)を訪れたが、返ってきたのは「どこをどう探せというのか」という冷淡な反応だった。

途方に暮れていた両親に、見かねた隣人がこんなアドバイスをした。
「最近、コチェビ常務が通りを歩いている少年たちをコチェビと誤認してやたらめったら捕まえている」
「コチェビ常務に捕まって散々苦労させられて返ってきた子どもたちもいるから、(コチェビ収容施設に)行ってみると良い」

早速施設に行ってみたが、コチェビ常務に息子のことを尋ねても傍若無人な態度を取られた。結局、常務の幹部にワイロを渡してようやく連行したコチェビのリストを見せてもらえた。そこには、町はずれにある収容施設に息子がいることが記載されていた。そこから息子を取り返すことにようやく成功したが、それまでに15日もかかった。

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隣人の話の通り、息子は大変な目に遭っていた。

「まともに食事すら与えられず、奴隷のように働かされた上に、洗濯までさせられていた」(情報筋)

彼の証言によると、16歳以上の収容者は、山で木の切り出しなど様々な強制労働をさせられ、15歳以下の収容者は、彼らの服の洗濯など雑用をさせられる。食事は1日2回のトウモロコシ粉の固まりがすべてだったということだ。

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少年は脱走の機会を狙っていたが、二重、三重の監視が行われているのを見て、脱出は到底不可能だと考えたという。

息子のあかぎれだらけで血のにじんだ手、げっそりした体を見て、両親は言葉を失い、ただただ抱きしめて泣き叫んだという。無事帰宅を果たしたものの、受けた衝撃があまりにも大きく、少年は魂が抜けたような状態で、恐怖に襲われて外出はまったくできない状態になってしまった。

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PTSD(心的外傷後ストレス障害)に対するケアや、間違って連行されたことに対する謝罪、補償などについて情報筋は触れていないが、ハナから望むべくもないのだろう。

情報筋によると、コチェビが伝染病(新型コロナウイルス)を広げるとして、全員捕まえよとの指示が下されたことで、清津市内ではコチェビの姿は全く見えなくなっている。今回の事件も、その指示が招いたものと思われるが、取り締まりの担当者にノルマが課せられ、数合わせのために少年が犠牲になった可能性も考えられる。

(参考記事:子どもを「突撃隊」に変える北朝鮮孤児院の悲惨な現状