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586とは、現在50代で、1980年代に主として大学生として民主化運動に参加した、1960年代生まれの世代を指す。20年ほど前には「386世代」として脚光を浴びた。現政権の李仁栄(イ・イニョン)統一相やイム・ジョンソク前大統領秘書室長、そして曺国氏らが代表選手と言える。

本の中で陳教授は、「586政治エリートは民主主義をまともに学んでいない人々」だと指摘している。どういうことか。ところどころ解説をはさみながら、徐教授、カン記者との対談の流れを追ってみよう。

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 実際、586政治エリートは民主主義をまともに学んでいない人々なんです。われわれの前の世代が志向したのは米国式の民主主義モデルでした。70年代には運動歌もぜんぶ米国の歌だったじゃないですか。「フルラソング」とか、「揺らぐことなく」とか、「われ勝利せり」とか。

その後、80年の光州(民主化運動)を経て386運動圏が急進化し、運動圏でNL(民族解放)とPD(民衆民主)のふたつの流れが形成されました。NLであれPDであれ、基本的に「ブルジョア民主主義」に対して批判的でした。国家をブルジョアの利益調整装置と見なし、民衆民主主義と民主集中制をうたいました。それは、今われわれの知る民主主義とは性格がまったく異なるんです。

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NLとは民族解放(National Liberation)の略で、韓国社会は米国の植民地であるとみなし、支配勢力は米帝と下僕である軍事ファッショ政権であり、韓国社会の矛盾は帝国主義と植民地民衆の間の矛盾から生じている、とする理論を掲げた学生運動グループのことだ。もう一方のPDは民衆民主主義(People’s Democracy)の略で、韓国社会の主要な矛盾を労働者―資本家階級の対立に見出し、階級革命を通じて社会主義政権を樹立することを最終的な目標としていた。

 そうした考えを持っていた人々が、現実の社会主義が崩壊して以降も、自分の考えを修正できなかったんです。ソ連と東欧圏が倒れたとき、私は「それでは左派はこれからどうすれば良いのか?」と苦悩しながら、欧州に視線を向け、社会民主主義に関心を持つようになりました。それが様々な社会主義モデルの中で、唯一、機能し得るものとして立証され、自由民主主義の制度とも相性が良いように思われたのです。そうして自分の考えを、それなりに修正しました。ところが彼らは、そうした理念の修正過程も経ず、そのまま制度政治圏に入ってしまったのです。

陳氏の言葉にも表れているように、1980年代に韓国の学生運動を主導した人々の多くは、社会主義を志向していた。これについて、韓国の人権運動家で、当時のNLの指導者のひとりだった金永煥(キム・ヨンファン)氏は自著『韓国民主化から北朝鮮民主化へ』(新幹社)の中で、次のように語っている。