「時速200キロのベンツが闇夜で…」金正恩の後見人“暗殺説”の真相

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北朝鮮国営の朝鮮中央テレビは8月7日、金正恩党委員長が、水害に見舞われた黄海北道(ファンヘプクト)銀波(ウンパ)郡の大青(テチョン)里を視察したとして、その際の写真を公開した。それを見ると、金正恩氏が泥で汚れたレクサス「LX570」と見られる黒のSUVの運転席に座っている。北朝鮮メディアが、金正恩氏が車両のハンドルを握った写真を公開したのは初めてだ。

韓国の聯合ニュースはこの写真について、「平壌から約150キロ程度離れた現場まで(金正恩氏が)自ら運転したのではないにしても、現場では自らハンドルを握った可能性がある」と伝えた。

しかし筆者は、金正恩氏がかなりの距離を自ら運転した可能性が高いと見ている。なぜなら金正恩氏は、かなり以前から北朝鮮で「走り屋」として知られているからだ。

より興味があるのは、金正恩氏がどのような運転をするかだ。北朝鮮では高官の乗った高級車が、相当なスピードで飛ばす傾向があると伝えらえる。そのせいか2003年には、対日・対韓国戦略を統括していた金容淳(キム・ヨンスン)朝鮮労働党統一戦線部長が、2010年には李済剛(リ・ジェガン)党組織指導部第1副部長が、2014年には金養建(キム・ヤンゴン)党統一戦線部長が交通事故により死亡している。

いずれも、金正恩氏の父・金正日総書記の最側近だった人物だ。また李済剛氏は、父の後継者となった金正恩氏の後見人的な役割を果たした人物であり、金養建氏は死の直前まで金正恩氏を補佐した。

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これほどの高官らが相次いで事故死するというのは諸外国では珍しく、そのため「暗殺説」が根強く囁かれている。特に李済剛氏については、政敵だった張成沢(チャン・ソンテク)党行政部長による謀殺が疑われてきた。

一方、脱北者で韓国紙・東亜日報の敏腕記者であるチュ・ソンハ氏は自身のブログで、「李済剛氏の死は事故だった」とする結論を述べている。ただ同時に、北朝鮮の高速道路で行われている、恐ろしく危険な走行の実態も明らかにした。

(参考記事:金正恩氏の「高級ベンツ」を追い越した北朝鮮軍人の悲惨な末路

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それによると、金正日総書記の時代、最高指導者が地方へ行く際に随行する車両は、高速道路を時速200キロで走ることが義務付けられていたという。おそらくは米国の偵察衛星などの監視をかわすための保安対策なのだろうが、道路状態が劣悪な北朝鮮では危険なことこの上ない。李済剛氏も元山(ウォンサン)から平壌へ帰る途中、乗っていたベンツが夜道で事故を起こし、死亡したという。

金正恩時代になってからはどうだろうか。米軍などへのステルス戦闘機の配備が進んでいる今、最高指導者の移動時のリスクは以前より高まっていると言える。もしかしたら金正恩氏は、父の時代よりいっそう厳しい移動ルールを、側近たちに求めているかもしれない。