「家族たちは幹部のところに押しかけて泣いて騒いで(ヘリによる搬送を)訴えたが、積極的に動こうとする幹部はいない。人が死にそうなのに、地団駄を踏むことしかできず、かわいそうだとの声があがっている」(情報筋)
1932年に日本鉱業(現JXTGエネルギー)が開設したこの鉱山だが、朝鮮戦争後には韓国軍の捕虜や地主階級などが送り込まれた。その後も、革命化(下放)の場として使われている。つまり、流刑地として使われるほど労働環境が劣悪なのだ。
24年間働いた末に脱出し、1998年に韓国にやってきたチャン・ヒョンスさんは2001年に韓国の朝鮮日報の取材に「1990年代以前にも、発破や落石などで毎日のように人が死んでいったが、配給が途絶えてから自分で生きていく力のない人々がまず餓死した」と述べた。