北朝鮮、美女レストランの裏側「騙されていたんだな、と気づいた」

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中国、ロシア、東南アジアの各国に進出し、朝鮮料理を舌鼓を打ちながら美女従業員の歌や踊りを楽しむ北朝鮮レストラン、通称「北レス」。

国際社会の経済制裁により、一時は全店閉店の噂も囁かれたが、朝鮮半島情勢の変化で復活の兆しを見せている。デイリーNK特別取材班は、そんな北朝鮮レストランの関係者とのインタビューに成功した。

(参考記事:美貌の北朝鮮ウェイトレス、ネットで人気爆発

遼寧省の主要都市にある北朝鮮レストランでインタビューに応じた彼は、まず当局による上納金の執拗な催促について語った。

「最近に入っても出せと言われ続けています。1ヶ月に1回から3回。農作業の季節には、肥料やカネを出せと言われる。給料から出せないときは、あちこちから貸りるしかない。1ヶ月に(給料は)1000元(約1万6500円)なのに、1500元(約2万5000円)を出せと言われるので、カネを借りてようやく出せたと思ったら、今度は来月分を出せと言われる。そんなもの出せますか?総和(総括)の時に出せなかった(という人もいるが)どうしようもないですよ」

現在、北朝鮮は、金正恩党委員長が旗振り役となり三池淵(サムジヨン)地区、元山葛麻(ウォンサンカルマ)海岸観光地区という2大開発プロジェクトを進めている。その建設費確保のために、全国民に物品の上納と労働動員を強いているが、北朝鮮レストランの従業員に対しては、給料を上回る上納を要求しているということだ。

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この1000元から1500元という月給も、当初の契約とは異なる。従業員らは月3000元(約4万9500円)もらうという契約で中国にやってきたが、実際にもらえるのは3分の1か、それ以下だ。

「(2015年に契約を交わして以来)従業員たちの給料は今に至るまで上がってません。女性(従業員)たちはいろいろと物入りです。化粧品代や服代として使う分として、1ヶ月に150元(約2500円)から200元(約3000円)だけ受け取ります。それを月給800元(約1万3200円)から差し引いて、残りは故郷に帰る時に渡されます。3年働くと3000ドル(約33万2000円)ほどになります。最初は給料をくれないと泣き出す女性も、しばらくすると、自分たちのために貯めてくれていると理解するようになります」

この関係者は、吉林省延辺朝鮮族自治州の図們、琿春の工場に派遣された労働者の事情についても詳しく知っていた。琿春のある工場では、数千人の北朝鮮労働者が働いている。

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「レストランの従業員は全員が平壌出身だが、図們、琿春の開発区には地方出身者が多いです。アパレル工場で働いています。開城(ケソン)工業地区で組織化されたので、仕事をさせるにはぴったりです。従業員が手にするおカネは月600元(約9900円)から650元(約1万800円)、夜勤をすると800元(約1万3200円)から900元(約1万4900円)になります。レストランの従業員のほうが少しマシです。チップももらえますから。3分の1は取られてしまいますが」

レストランの従業員は給料がよく、比較的自由な暮らしをしている。一方で、工場労働者は半ば工場の敷地内に閉じ込められた状態にあるものの、食生活の面では恵まれている。

「レストランの従業員は時々外出できるが、工場で働く人たちはできません。工場で働く人たちの食費は1日10元(約165円)ですが、それで食材を買ってきておかずを作ると5種類以上になります。肉も出ます。食堂の調理師も朝鮮の人です。だけど、レストランの従業員は白菜少々、豆腐少々のおかずでご飯を食べます。うちのレストランの社長は他と比べて親切でないのか、待遇があまりよくありません」

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この関係者は、国連安全保障理事会の対北朝鮮制裁決議2397号についても触れた。同決議は国連加盟国に対し、採択から24ヶ月以内に北朝鮮労働者を全員帰国させることを義務付けている。

「今は(労働者が)中国に入ってこれません。制裁が解除しなければ全員出国するしかありません。(安保理の)決議が採択されたのは(一昨年の)12月なので、(今年の12月の)その前に出国しなければなりません。レストランも工場(の労働者)も100%です」

昨年の中朝首脳会談を前後して、一度は途絶えていた北朝鮮労働者の中国派遣が復活しつつあるとの情報があり、このままなし崩し的に進むのではないかという見方もあったが、この関係者は悲観的に見ているようだ。

インタビューの終盤になってこの関係者は、恐る恐る体制批判を始めた。

「政策を変えなければなりません。そうしなければ人民が豊かに暮らせません。中国は昔貧しかったけど、今では食べる心配はなくなりました。知らなかったころは党(朝鮮労働党)を信じていたけど、(中国に)来てみると『ああ、騙されていたんだな』と思うようになりました」