「眠っているうちに」死者数万人、北朝鮮庶民が震える「冬の夜の恐怖」

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両江道(リャンガンド)のデイリーNK内部情報筋によると、恵山(ヘサン)駅そばにある恵興洞(ヘフンドン)の民泊で今月13日、家主夫婦と宿泊客3人が死亡した。近隣住民に発見されたのは、数日後のことだった。

亡くなった3人は、金正恩党委員長が進める三池淵(サムジヨン)の開発工事に突撃隊(建設部隊)として動員されていた。数ヶ月の任期を終え、故郷に戻る矢先のことだった。列車を待つために駅のそばの民泊で泊まり、悲劇に遭った。事情を知った近隣住民が気の毒がっている。

(参考記事:住民や労働者が次々に逃げ出す酷寒の「恐怖写真」現場

死因は、一酸化炭素中毒だった。

朝鮮半島の伝統的な暖房と言えば「オンドル」だ。かつては焚き口に薪をくべて火を付けて床を暖める方式だったが、1920年代から徐々に練炭に取って代わられた。韓国では1950年代から爆発的に普及が始まった。

それに伴い、一酸化炭素中毒が激増した。1970年9月21日の中央日報によると、1968年にソウル市内で一酸化炭素中毒になった人は1万2520人で、亡くなった人は545人に達した。これは1967年度に伝染病にかかった人が1843人(うち死亡137人)より遥かに多い。1982年5月4日の京郷新聞は、28年間に亡くなった人は6万人、何らかの後遺症を抱えている人は294万人というさらに衝撃的な数字を紹介している。

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1970年代から家の外に設置したボイラーに練炭を入れて温めたお湯を床の下に通す方式が普及し、中毒事故は減少し始めた。1990年代以降、練炭からガス、電気、灯油のオンドルが普及し、練炭はほとんどの家庭から姿を消した。今では一酸化炭素中毒で亡くなる人は年間10人前後だ。「夜中に中毒になりかけて逃げようにも足腰が立たず、這って外に出て助かった」などという練炭にまつわる体験談は、韓国ではノスタルジーを持って語られるようになった。

ところが北朝鮮では、なおも現在進行形の現実なのである。

こうした事態を受け、当局は一酸化炭素中毒の防止対策に乗り出した。

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平安北道(ピョンアンブクト)の新義州(シニジュ)など一部地域では、人民班(町内会)に指示して、午前0時から2時、5時から6時までの2回に分けて家々を訪ね、一酸化炭素中毒になっていないか確認する「ガス警備」を行わせている。それも、台帳に点検状況を記録し、洞事務所(末端の行政機関)の捺印を受けさせるほどの念の入れようだ。このようなパトロールは、「強制的な換気」という意味合いもあるものと思われる。

一方の恵山では、このようなパトロールは行われていない。保安署は、三池淵建設の影響で増加している民泊を取り締まる方針を示している。しかし、恵山は交通の要衝でありながら、手頃な値段の宿泊施設が存在しないため民泊に頼らざるを得ず、取り締まりによって根絶やしにするのは難しい。ちなみに取り締まりは、民泊が売春の温床となっていることとも関係していると思われる。

北朝鮮と国境を接する中国東北でも暖房に石炭を使うことが多く、一酸化炭素中毒が多発している。

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10月31日の延辺日報は、29日に延吉市に住む50代男性が一酸化炭素中毒で倒れているのを家族に発見され、延辺大学附属病院に搬送され、高圧酸素装置で治療を受け一命をとりとめたと報じ、一酸化炭素中毒への警鐘を鳴らしている。北朝鮮には、高圧酸素装置が少なく、使う順番もコネとカネで決められてしまうのが現状だ。