北朝鮮社会では近年、「人民の生命、財産、安全を守るのではなく、人民の血と汗を吸って生きる吸血鬼」と非難される保安員(警察官)が、報復で殺される事件が相次いでいる。
(関連記事:妻子まで惨殺の悲劇も…北朝鮮で警察官への「報復」相次ぐ)先月中旬にも、20代の青年が保安員に激しい暴行を加えて重傷を負わせる事件が発生した。その動機は、深刻化する一方の格差社会とそれを生み出した体制に対する恨みだ。
米政府系ラジオ・フリー・アジア(RFA)の情報筋によると、事件が起きたのは首都・平壌から北に40キロ離れた平安南道(ピョンアンナムド)の肅川(スクチョン)だ。
保安署(警察署)の巡察隊員がパトロール中に、突然暴行を受け重傷を負い病院に運ばれた。逮捕された容疑者は、兵役を終えて故郷に戻って間もない20代の青年だった。「賢くて誠実」(情報筋)と村で評判だった彼が、なぜ犯行に及んだのだろうか。
彼の両親は、国営農場に一生を捧げた朝鮮労働党員だ。収穫の分配を受け取れず、商才もないために極貧生活を送っている。おそらく共産主義の理想を捨てられず、市場経済化する時代の流れに乗り遅れたのだろう。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面兵役を終えて10年ぶりに帰郷した青年は、そんな両親の窮状を目の当たりにした。一方で、うまく稼いで贅沢な暮らしをしている農場や保安署などの司法機関の幹部の姿も目撃した。
「兵役を終えて大学に入ろうとしていた青年は、党に忠誠を尽くし一生を農業に捧げた両親が、三度の食事にもこと欠く姿に衝撃を受けたようだ」(別の情報筋)
司法機関に強い不満を抱くようになった彼は、ある日、通りかかった商人が持っていたスマートフォンを発作的に奪い、出動した保安員に暴力を振るい、重傷を負わせてしまった。逮捕、起訴された彼には、教化刑(懲役)8年が言い渡された。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面この判決に対して、地域住民から「暴力をふるっただけで8年の刑は重すぎる」と疑問と不満の声が上がっている。通常の暴行罪なら最高刑は労働鍛錬刑1年だ。しかし、単純な暴行事件ではなく、司法体系に歯向かった重大な事件として扱われ、別の法律が適用されたものと思われる。
第271条(故意的重傷害罪) 故意に人の生命を脅かすほどの傷害を負わせたり、目や耳、その他の身体的機能を失わせたり、顔にひどい傷跡を残したり、精神疾患に追い込んだり、労働能力を顕著に低下させた者は、5年以下の労働鍛錬刑に処す。前項の行為が残忍な方法で行われたり、被害者を死に至らしめたり、複数の者に重傷を負わせたりした場合には5年以上10年以下の労働強化刑に処す。
彼は、价川(ケチョン)教化所に収監された。政治犯収容所ではないものの、政治犯や無期懲役刑を宣告された受刑者が服役する施設で、環境は劣悪だ。生きて帰ってこられない可能性もある。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面「教化所で死んだ人を見た。死ぬ2時間前に体からシラミが群れをなして逃げていった。そうなれば助けるすべはない。教化所は衛生管理がなされていない。4号室には浴場があるが、1ヶ月に1回しか入浴できない。女性は体をきれい保ちたいと思うから、タオルを濡らして体を拭く。そうすると水はすぐに垢だらけになる。それで洗うから衛生が保てない。ぞっとする。」
北韓人権データベースに収録された价川教化所の元受刑者の証言
北朝鮮で、量刑はワイロの額によって決まると言っても過言ではない。裁判官にそれなりの額のワイロを渡すことができたなら、懲役8年にはならなかっただろう。しかし、両親はワイロはおろか、息子が栄養失調にならないようにトウモロコシの粉を差し入れすることすらままならない状況だ。誠実に生きてきた両親だが、今は世の中を恨みながら余生を送っているという。
事件の顛末が明るみに出るにつれ、近隣住民の間では「賢くて誠実だった青年が、暴力をふるって人生を棒に振ったのは誰のせいなのか」と体制に対する反感が広がっている。それはまた、別の襲撃事件に発展する危険性をはらんでいる。
広がる格差社会、変わらぬ抑圧体制は、様々な形で人の命を奪っているのだ。