強硬な核兵器開発から突然、対話路線に舵を切った北朝鮮の金正恩党委員長。その理由のひとつに、国際社会による制裁圧力があるのは間違いあるまい。
北朝鮮では、幼稚園から大学に至るまですべての教育が無料で受けられることになっている。もちろん教科書もタダで受け取れるはずだが、新年度を迎えて1ヶ月が過ぎたというのに、未だに多くの生徒たちが教科書を受け取れずにいる。
咸鏡南道(ハムギョンナムド)のデイリーNK情報筋によると、教科書は「中央教育備品管理所」という組織から全国の学校に配給されるが、その数が全く足りていない。
ちなみに、制服も本来は国から無料で支給されるはずだが、実際は購入を強いられる。それも高校生の間では「ダサい」と不評だ。
(参考記事:金正恩センスの制服「ダサ過ぎ、人間の価値下げる」と北朝鮮の高校生)コピーもできない
道内の初級中学校(中学校)で使う数学の教科書は1クラス(30〜35人)に15〜20冊、英語の教科書に至っては10冊ほどしか配給されていない。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面咸鏡北道(ハムギョンブクト)の情報筋も、清津(チョンジン)市郊外の初級中学校1年のクラスで、英語の教科書が足りずに生徒たちの間で奪い合いのけんかになったという。
このような教科書不足は平壌を除く全国で確認されている、その原因は、金正恩党委員長が打ち出した英語教育強化の方針にある。
北朝鮮は金正日時代だった2008年から大学生に英語を第2または第3外国語として必修科目化し、小中高では英語教育期間を6年から8年に伸ばした。さらに金正恩氏は政権についた後、教育現代化を打ち出し、「英語教育を強化せよ」との指示を下した。また、2012年に義務教育期間を11年から12年に延長したのに合わせて、英語の授業を週1回から2回に増やした。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面英国政府が運営するブリティッシュ・カウンシルの北京事務所は、2000年から平壌市内の3つの大学に英語教師を派遣し、教師を目指す学生たちに英語教育を実施している。2014年からは対象を10の大学に増やし、経済制裁とは関係なくプロジェクトを続けている。年間予算は20万ポンド(約2958万円)に達する。
英語教科書は2014年から新しいものに切り替えられた。以前の教科書はサイズが小さくページ数も少なかったため、不足することはあまりなかった。ところが、幹部の子どもや秀才だけが通う第1中学校でのみ使われていた分厚い教科書に切り替えた。
北朝鮮では教科書用の紙を生産できないため、輸入品に頼らざるをえないが、経済制裁による外貨不足でとても輸入できる状況ではない模様だ。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面教科書がもらえなかった生徒の親は、あちこちの市場を探し歩いているが見つからない。日本の感覚なら「コピーすればいい」と思うかもしれないが、北朝鮮ではそうもいかない。
「以前はパソコンで作った白黒の教科書がときどき流通していたが、当局が『小冊子を印刷することは(反体制的な)ビラを印刷することと同じだ、違反者は厳罰に処す』と言い出したため、それもできなくなった」(情報筋)
北朝鮮にはそもそもコピー機の数が少ない上に、使用するには保衛部(秘密警察)の許可がいる。地下出版や反体制ビラの流通を防ぐためだ。しかし、国が発行した教科書のコピーを許さない措置に怒りの声が上がるのは当然のことだろう。
さらに、教科書を配給する基準を巡っても怒りが渦巻いている。
「成績が良い生徒がもらえるのではなく、食糧配給をもらえない教師の家庭生活を助け、学校から与える課題をきちんとこなす親を持つ生徒に優先的に配布した」
つまり、食べていけない教師に現金や食糧、生活必需品を手渡して面倒を見たり、学校から指示された様々な物品をきちんと提出した生徒、すなわち経済的に余裕のある親を持つ生徒をえこひいきしているということだ。
教科書が得られなかった生徒は、隣の席の生徒に見せてもらったりしているが、借りて自宅に持って帰ることもできず、勉強にも支障が出ている。
保護者の間からは「教科書ひとつ、まともに解決できないなんてむちゃくちゃだ。いつになったらこんな心配をしなくて済むようになるのかわからない」と不満の声が上がると同時に「こんな貧しい国にした私たち大人の責任が大きい」と自責の声も上がっている。
高英起(コウ・ヨンギ)
1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 、 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 、 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。