北朝鮮きっての「天才数学者」親子はなぜ抹殺されたのか

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韓国の朝鮮日報は2010年11月10日付で、北朝鮮の高官の話として、同国の国家科学院数学研究所の応用力学研究室の室長を務めていたキム・ソイン氏と、父で寧辺(ニョンビョン)核研究基地の幹部クラスの科学者だったキム・ソンイル氏が、スパイ容疑で秘密警察の国家安全保衛部(当時、現在は国家保衛省)に逮捕され、咸鏡南道(ハムギョンナムド)の耀徳(ヨドク)にある政治犯収容所に送られたとの噂が立っていると報じた。

脱北者で平壌中枢の人事情報に精通する李潤傑(イ・ユンゴル)北朝鮮戦略情報センター代表は、キム・ソイン氏の弟、キム・ソリョン氏と平壌理科大学の同期で、3学年上のキム・ソイン氏とも非常に親しくしていたという。李潤傑氏は最近になって、2人の身に何が起きたのか、韓国にやってきた脱北者の知人を通じて知ることとなった。

李潤傑氏によれば、キム・ソイン氏は韓国や他の国では知られていない人物だが、北朝鮮では科学英才教育のシンボル的な存在だ。中学時代から数学の天才として有名だった彼は、普通より2年早く平壌理科大学に入学し、1年前倒しで卒業した。つまり3年を飛び級した計算となる。

北朝鮮は、たとえどれほど優秀な人材であっても、体制の利益にならないと考えれば迷わず処刑する。金正恩党委員長も、「喜び組」出身で父・金正日総書記に見いだされたスター女優のキム・ヘギョンや、北朝鮮きっての「イケメン俳優」と言われたチェ・ウンチョルを処刑している。

(参考記事:【写真】女優 キム・ヘギョン――その非業の生涯

また、やはり父が寵愛した天才ヴァイオリニストも、無残に殺されている。

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これと同様のことが、この天才数学者親子にも起きたのだ。

金正日総書記は1980年代、「20〜30代(の若者)は博士、準博士(修士)になろう」というスローガンのもとに、学術研究を強く奨励した。この頃に修士学位を取得した若い科学者のうち、唯一20代で学位を得たのがキム・ソイン氏だった。北朝鮮の大学院はただでさえ、他国に比べて狭き門だ。学位授与者は労働新聞で報道されるほどの超エリートである。

李潤傑氏は1984年7月、平壌理科大学の寄宿舎で2泊3日して同大の入試を受けたが、その際に同室だったのがキム・ソイン氏の弟、キム・ソリョン氏だった。キム・ソイン氏は部屋を頻繁に訪れ、非常に仲良くなり、入学後はさらに親密になった。有名な天才と仲良くなった李潤傑氏は、とても光栄に感じたという。

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前途洋々だったはずの科学者一家の身に降り掛かった悲劇の顛末は、次のようなものだった。

国家安全保衛部は2010年3月、1通の機密文書を入手した。それには国家機密が流出した、その首謀者はキム・ソインと、ユン某だと書かれていた。ユン氏は、キム・ソイン氏の後輩で、平壌理科大学の電子自動学部を卒業後、国家科学院の資料通報(資料集の意)研究所に入り、研究者を務めていた。

ユン氏の母親は中国出身で、母方の親戚の多くは中国に住んでいた。ユン氏は、仲の良かった瀋陽在住の従兄を通じて北朝鮮の核開発や主な関係研究の資料を中国に流出させ、金品を受け取っていた。最終目的地は不明だが、中国国家安全部(諜報機関)である可能性が高い。一連の作業にキム・ソイン氏が深く関わっていたというのだ。

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キム・ソイン氏は、流体力学の専門家として人工衛星「光明星」の開発に深く関わっていたが、その資料をユン氏を通じて流出させた。そればかりか、父のキム・ソンイル氏から得た核開発の資料もユン氏に渡し、金品を受け取っていたという。

一家3人が逮捕され、2010年5月に収容所送りとなり、キム・ソイン氏、キム・ソンイル氏は後に処刑された。キム・ソリョン氏のその後については確認が取れていない。

これが、逮捕から数年を経て明らかになった事の真相だ。

旧ソ連などの共産圏国家では、体制が揺らぐにつれ機密情報の流出が頻発した。今回の事件は、北朝鮮の体制が直面した状況を語る一面と言えよう。

金正恩党委員長は、新たに造成したタワーマンション団地に優先的に入居させるなど、科学者を厚遇することで同様の事件を防ごうとしているようだ。しかし、核兵器開発を巡る国際社会からの制裁が長引くようなら、いずれそれも難しくなるかもしれない。

高英起(コウ・ヨンギ)

1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

脱北者が明かす北朝鮮 (別冊宝島 2516) 北朝鮮ポップスの世界 金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 (宝島社新書) コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記