1980年代には在日本朝鮮人総連合会の韓徳銖(ハン・ドクス)議長が工場を訪問したが、見学できたのはごく一部で、製造部門の見学は許されなかった。それほど厳重な保安体制になっていた。
彼は腹を立てて、金日成氏に「自分は信用に足る人間だ、見学を許可して欲しい」と直訴した。これに対して金日成氏は「工場の規則は非常に厳しい、従わなくてはならない」と諭し、この工場の重要性を説いたという。
吹き飛んだ通勤列車
北部山間地域にある慈江道には、軍需工場が密集しているため、他の地域の人が立ち入ることも、道民が他の地域に出ることも厳しく制限されている。
この26号軍需工場の爆発事故は歴史に残るものだが、最大ではなかった。