北朝鮮は今年、米国からの軍事的圧力と国連安保理による経済制裁を受けながら、核実験を1回、長距離弾道ミサイルの発射実験を3回、中距離弾道ミサイルの発射実験を2回行った。強硬姿勢を貫いた金正恩党委員長は、自信を深めているかもしれない。
一方で、北朝鮮の内政には異変が感知されている。最近になり、黄炳瑞(ファン・ビョンソ)朝鮮人民軍(北朝鮮軍)総政治局長と金元弘(キム・ウォノン)同第1副局長が粛清されたとされているのだ。
「ポルノ撮影」の情報
この情報は11月、韓国の情報機関・国家情報院(国情院)によって明らかにされた。国情院は、朝鮮労働党組織指導部が朝鮮人民軍総政治局に対して20年ぶりとなる検閲を進め、その過程で黄氏と金氏など相当数の幹部が処罰されたもようだと述べた。
これに続く形で、韓国紙・中央日報は今月12日、黄氏が朝鮮労働党からの「出党」(追放)処分を受け、金氏が政治犯収容所に収監されたと報じた。
国情院と韓国統一省は中央日報の報道について「そのような事実は確認されていない」としながらも、国情院傘下のシンクタンクである国家安全保障戦略研究院は18日、黄氏が深刻な降格処分を受け、某省庁で勤務し、金氏は農場で働いているという見解を示した。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面さらに、北朝鮮の公式報道も黄氏と金氏が、なんらかの処分を受けたことを間接的に裏付けていた。
12月、北朝鮮では第8回軍需工業大会が開かれた。しかし会場のひな壇に、本来ならいるべき黄氏と金氏の姿はなかった。その後に行われた党細胞委員長大会にも2人の姿は見えなかった。いずれの大会にも金正恩氏が参加しており、これらの行事が非常に重要なものとして位置づけられていたことがわかる。その場における不在は、黄氏と金氏が北朝鮮政治の表舞台から消え去ったことを意味しているようにも思える。
また、金正恩氏は昨年まで、父・金正日総書記の命日(12月17日)には党や軍の幹部を引き連れ、遺体の安置された錦繍山(クムスサン)太陽宮殿を参拝していた。しかし今年は、たった1人での参拝だった。別途、党や軍、政府の幹部らも参拝したが、参拝者の名前も写真も公開されていない。権力中枢の異変を悟られまいと、敢えて公開しなかったのだろう。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面黄氏と金氏はこの数年間、金正恩体制を表裏から支えてきた核心人物と言える。2013年12月、金正恩氏は叔父である張成沢(チャン・ソンテク)元国防副委員長を粛清・処刑した。2人は、この粛正劇で主導的な立場にあったと見られている。
4年前に権勢を振るっていた張氏を引きずり下ろした2人が、今度は「やられて」しまったことになる。2人にどのような処分が下されたのか、具体的なことはわからない。ただ金氏の立場は、非常に危ういと筆者は見ている。
張氏は処刑されるに当たり、罪状のひとつとして、2009年に失敗した貨幣改革(デノミネーション)の責任を押しつけられた。このデノミ失敗では多くの国民が財産を失っており、国家に対する恨みの種となっていた。張氏が処刑されて以降、一部の平壌市民の間では「張成沢が貨幣改革で北朝鮮経済を悪化させた」との話が出回っていると聞く。張氏をスケープゴート(生贄)にしたプロパガンダが、まんまと成功しているのだ。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面金氏の粛正の背景には、彼がトップを務めていた国家保衛省(秘密警察)の越権行為があったとの説がある。同省が主導した粛清の相当部分が、特定の有力者が自分の政敵を抹殺するために虚偽の密告を行って仕組んだ「謀略」だったと判明したというのだ。
保衛省は、拷問を厭わぬ残忍さで庶民から恐れられ、同時に忌み嫌われている。また政治犯収容所も運営し、北朝鮮の体制を支える恐怖政治の象徴となってきた。そしてそれだけに、国際社会からの人権攻勢の矢面に立たざるを得ないのだ。
(参考記事:北朝鮮の女子大生が拷問に耐えきれず選んだ道とは…)金正恩氏が、恐怖政治に対する庶民の反発をやわらげ、あるいは人権侵害に対する国際的な非難をかわす狙いで、金氏に全ての責任を押しつけるのはあり得ないことではない。先述の国家安全保障戦略研究院は、黄氏は組織指導部で果たした役割から復帰する可能性があるが、金氏の復帰は難しいという見解を示している。
2012年3月、金正恩氏は国際婦女節を記念して行われた音楽公演「女性は花だね」を観覧した。公演では、サプライズ演出として元女性歌手の玄松月(ヒョン・ソンウォル)氏が観客席から舞台に上がり美声を披露した。そしてこの公演では、金氏もまた、周囲から促されて妻とともに歌を披露している。
2013年8月、日本と韓国のメディアは、玄氏が公開処刑されたと報じた。玄氏ら北朝鮮の有名芸術団のメンバー9人がポルノ動画を撮影し、金正恩氏の夫人・李雪主(リ・ソルチュ)氏を中傷したからだとされた。
後に、玄氏は健在であることが確認されたが、彼女が事件から近い位置にいたことは確かだろう。そして、芸術団員らに対する捜査を行い、むごたらしい公開処刑を実行したのが金氏の率いる国家保衛省だった。
あれから時が流れ、玄氏は今年10月に行われた党の総会で、異例の抜擢を受け高位幹部となった。金氏の現状と比べると、まさに天国と地獄である。北朝鮮の権力中枢は、まさに「一寸先は闇」なのだ。
高英起(コウ・ヨンギ)
1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 、 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 、 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。