まず、追撃兵が軍事境界線を越えたのは明らかだ。次に追撃兵が自動小銃を携帯していたのも問題だ。協定では、共同警備区域(JSA)の警備兵が携帯できるのは拳銃1丁または手動式のライフル1丁に限られているからだ。
一方、北朝鮮側エリアでは戦闘拡大に備えるように、金日成主席の名前が刻まれた記念碑の前に、十数人の兵士が重武装で集結していた。
そして3時43分、韓国側施設「自由の家」左側の遮蔽物の陰に、呉氏が倒れている姿が監視カメラで確認される。その12分後の3時55分、韓国側警備大隊長のクォン・ヨンファン中佐と下士官2人が、匍匐(ほふく)前進で呉氏に接近した。呉氏から北朝鮮側警戒所まだの距離は、100mもない。