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9月9日は、北朝鮮の政権樹立61周年記念日である。

1948年、国際共産主義運動の首領だったスターリンが金日成に、朝鮮半島の北に「スターリンスタイル」の政権を立てさせた。その全国際共産主義運動の「元祖首領」だったウラジーミル・レーニンは生前、機会がある度に「スターリンはだめだ」と言い、スターリンに極力反対したが、共産圏の権力は結局スターリンが手にした。

その後、首領主義と軍事主義路線を優先させたスターリン主義の政権が朝鮮半島の北に建てられたが、それは事実上朝鮮半島で戦争(=軍事と暴力に基づく共産主義革命)を予告したのも同様のことだった。金日成は自分が引き起こした朝鮮戦争(もちろん金日成は、「朝鮮戦争は北侵」と最後まで主張したが)を一度も後悔しなかったというが、その根本的な背景は、金日成自らがスターリン主義に忠実な共産主義者だったからである。つまり、「我々は革命をしようと言って戦争したのだが、何か間違っているか」ということだった。朝鮮戦争の後も金日成は、いわゆる「国防-経済併進路線」(1966年)を採択して、国防の建設にほとんどの国力を注いだ。

この点から私たちは、北朝鮮政権の「本態性の特徴」を理解する必要がある。今、金正日が核兵器を抱えこんで決して放棄しない淵源を追跡したら、金正日の父親である金日成、そしてその向こうには「スターリンお爺さん」がいる。そのため北朝鮮政権の軍事主義路線は、「政権の存在方法」とも同じである。したがって、金正日が軍事主義路線にさらに強く出る(先軍)のは、このような系図を見れば「自然な」行動であることが分かる。すでに過ぎた話だが、これまでの10年間、「北朝鮮の核は交渉用」と主張していた人たちは、言うなればこの「共産主義の譜学」を学んでいなかったか、適当に勉強していた可能性がある。

また、南と北は60年間「自分の体制への統一」のために競ってきた。ただその方法において、北側は軍事優先のやり方を続けて、南側は韓米軍事同盟を根幹にして、経済主義のやり方である「先建設、後統一」路線を選んだ。その結果、南と北には天と地ほどの差がついてしまったのである。

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この60年間、ヨーロッパの東西ドイツとユーラシアの東の端にある朝鮮半島では、自由民主主義と国際共産主義が激しくぶつかり合った。そのため朝鮮戦争はスペイン内戦とはまた異なる、「国際的な範疇で行われた、人類初の理念戦争」だったといえる。結果的に、この理念戦争は南側の勝利で終わり、朝鮮半島は20世紀の理念の激戦地として、また人間の自由民主主義的な社会生活の方式の勝利の撫ロになった。

筆者は今後およそ50年~100年くらい後に、人類の歴史を書くことになる歴史家は、20‐21世紀の朝鮮半島を非常に客観的な角度から、新たに再照明するだろうと考えている。人間は動物とは客観的に全く異なる「ホモイデアクス」(HOMO IDEACUS、思想的人間)であるため、朝鮮半島で60年以上繰り広げられてきた理念戦が、人類の変化と発展の歴史の中でどのような通史的意味を持つのかという問題が、おそらくその時期には重要な話題として浮上するだろう。

金正日の政権交代、朝鮮半島の開放と統一に向かうべき

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最近金正日政権は「ウラン濃縮核開発試験が最終段階に入り、プルトニウムを武器化している」と言って国際社会を脅かし、さらには国際的な慣例を無視して臨津江のダムを放流した。

金剛山観光客のパク・ワンジャさん射殺事件や、西海NLLと休戦ラインでの銃撃など、北朝鮮の各種の挑発で「偶発的」な行動はほとんどなかった。そうした点から、臨津江の放流は北朝鮮政権の計画的な挑発に違いないと思われる。ただし、5%程度の可能性として、金正日の末期体制の漏水現象に起因した、言い換えれば旧ソ連のチェルノブイリ原発事件のように、統制システムからねじが一部抜けた状態で発生した事件だったという可能性も念頭において、観察する必要はあるだろう。だが、北朝鮮政権の「風変りな挑発」であることはほとんど疑う余地がないと思うべきだろう。

問題は60年以上の経験から分かるように、北朝鮮政権の本態的属性が変わらない限り、こうした軍事的なさまざまな新種の挑発が続くだろうということである。そのため、今回の臨津江放流は、最近金正日政権が置かれている立場を見ると、一種の「窮余の策」のようでもある。言い換えれば、非常に露骨に直接的な方法まで動員したということであり、韓国政府は今後この点に特別の留意をはらわなければならないだろう。今後、さらに新しい対南「新インフルエンザ」のような戦術が登場する可能性もある。

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9月9日の北朝鮮政権樹立記念日を迎えて、あらためて考えて見た根本的なことは、大韓民国の国民と政府が、「朝鮮半島の北の問題の終局的目標」をはっきりと認識して実行に移す時が来たということである。つまり、北朝鮮政権を根本的に変えて統一を目指す問題を、「目前の現実的な問題」として上程しなければならないということだ。

理論的にまた実践的に、自由民主主義と全体主義首領独裁体制の「平和的な共存」は不可能である。朝鮮半島の問題は、北の全体主義首領独裁体制が崩壊した時に、「平和」であれ「統一」であれ、初めて解決の糸口を探ることができる。

これまでの南北間対話と交渉の中で、相対的に最も優秀だった交渉は、91年に締結された南北基本合意書だった。だがこの南北基本合意も、全体主義首領独裁政権の変化が前提になって初めて効力が発生する。南北の和解と協力、そして在来式武器の減縮等の問題も、その時初めて現実性を帯びるのだろう。北朝鮮政権樹立記念日である「9月9日」を想起することをやめなければならない時期を、繰り上げなければならない時も来ているのである。