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何日も雨が降り続いたが梅雨も明けて、暑い夏が本格的にやってきた。息詰まるような蒸暑さのため外に出るのもおっくうだが、それも少しの間だけ。建物や地下鉄、バスに入れば凉しいエアコンの風がほてった体を冷やしてくれる。

これだけ凉しいエアコンの風を受けていると、記者もいつからこんな贅沢をするようになったのかと笑いがこみ上げてくる。そして、あの北朝鮮の蒸し暑い夏の日がふと思い出される。

蒸しかえるような暑さを避けたくても避ける所がなく、冬は骨の髄まで冷え込み、夏は暑さで全身汗だくになる生活が、北の暮らしである。

朝鮮戦争で全て失い、灰の中から出発したのは南も北も同じだった。だが朝鮮半島の現状は、政治や経済、文化などあらゆる面で、また住民の文化生活の面でも比べることができないほど対極的である。

韓国では一番生活が苦しい、基礎生活対象者のために建設された賃貸住宅にも、きれいなトイレとシャワーが設置されている。けれども北朝鮮では、田舍は言うまでもなく、都市に建設された住宅にもトイレがなく、共同トイレを利用する人が多い。給水条件も非常に悪く、安心してシャワーを浴びることもなかなかできない。

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北朝鮮の人たちは、通りのピッチが溶け出して土が熱く焼けそうな暑さの中でも、生活苦にあえぎ、真夏の熱気をそのまま受けて疲れきったように夏を過ごす。体を冷やすことができる方法は川の水に跳び込んだり、家で洗面器に水を汲んで体に何度もかけることである。

8月の熱い太陽の下で全身がほてって、呼吸するのも大変だったある年の夏。平安北道クソン郡で、荷物を幾つも背中に背負って歩いている女性たちを見かけた。と、彼女たちは暑さに耐え切れないかのように、道のわきを流れる小川に一斉に飛び込んだ。

だが、いたわしかったのは、女性たちが急いで服を脱いで川の中に跳び込んでいたことだった。水草が少しばかり生えていたが、それでもそこを通る人の目につく場所だった。1人だったらそのような勇気が出ないだろうが、2、3人一緒にいたためか、女性たちは暑さをしのぐために服を脱いで水の中に跳び込んだのだった。

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通り過ぎる女性がその様子を見て、「そんなことして、男の人たちが見たらどうする気なの」と聞くと、彼女たちは堂々と「別に心配することもないわよ。見ている人が何をするっていうの」と言って笑った。みんな大変な世の中なのに、女性が裸になって川の中に跳び込んでも、誰一人おせっかいをやく暇などないというのだった。

時折道を通り過ぎる軍人たちが、水浴びをしている彼女たちの姿を遠目で見て、目のやり場に困っていた。

そのような時はたいてい、女たちが先にふざけるものと決まっている。

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「来たければ、来なさいよ!」

ふざけるのが好きな軍人はにやにやとうすら笑いを浮かべながら近付く振りをする。すると、女性たちは大騷ぎする。

「きゃー、浮気者」、「女たらし!」と言ってやると、背を向けてあわてて去ってしまう。

夏の暑さが厳しいため、北朝鮮の子供たちの間で一番人気があるのはやはり氷とアイスクリームだ。70〜80年代に、北朝鮮の子供たちに大人気だったのは、地方の都市ごとに作る少量の「氷菓子」だった。平壌に行けば、時折アイスクリームが売られていた。

氷菓子は国家が承認した食料工場や便宜協同などで作って売っていたが、夏の間は売台も子供たちでごった返し、盛況だった。

1980年代末まで、よい暮らしをしている人と生活が大変な人の差はあまりなかった。けれどもその当時でも、他の子供たちが買って食べている10銭の氷菓子も買って食べることができない子供が、1クラス(40〜50人)に5人くらいはいたと思う。そのような子供の家に行って見ると、しおれた白菜や千切りにした大根を交ぜて炊いたお粥を食べていて、驚くこともあった。

だが、今の状況は当時よりもかなりひどくなっている。毎朝、ご飯を数さじでも食べることができる家の子供たちは、両親にお小遣いを少しもらって、学校の近くでアイスクリームや氷水を買って食べている。けれども他の子は、こうした子供たちがおいしそうに食べている姿を、指をくわえて眺めているだけだ。

1990年代半ば以前は、国家が決めた単位だけが氷を作って売っていた。だが今は、市場経済と個人の生産が増えて、自分の家でアイスクリームや氷を作って、軍人や旅行者、周りの商人に売る人も増えた。

そのためお金がある人は、市場に行きさえすれば個人が売っている氷やアイスクリームを、いつでも買って食べることができる。田舍でも商売に一生懸命な人たちは、大きな冷蔵庫を買って来て氷やアイスクリームを売ってお金を稼いでいる。

個人の商売があまりにも増えたので、衛生管理ができていない氷菓子を食べておなかをこわす人も多い。早く作って売りたいと考えるため、消毒していない水で氷を作って売る人もいる。時折食べている人の氷を見ると、髪の毛や残りくずなども入っている。

売台の前で、母親に氷菓子を買ってほしいと言って、地面に座りこんでばたついて駄々をこねている子供の姿を見かけることもある。歯を食いしばって熱心に暮らしていても、子供に安い氷菓子1つ買ってやることができない母親の胸の痛みを、幼い子供には知る由もない。

辛さの余り、駄々をこねている幼い子供を叩きながら一緒に泣いている母親もいる。氷だけ食べて生きていけるのかと、ふびんな母親たちは罪のない氷商売を恨むのだ。どうか、よそに行って売ってほしいと。おなか一杯食べている人と生活に困っている人の押えつけられた感情が高ぶり、けんかがはじまることもある。

北朝鮮の夏は昼間もだるいが、夜も寝苦しい。暑さも辛いのに、防虫網を張ってもあちらこちらから隙間を探して蚊が飛び込んで来る。平屋の1部屋にたいてい5人が寝ているが、1人ずつ外に用を足しに出る度に蚊が入ってくるので、かんしゃくを起こしてしまう。

仕方なく外に出て、夜中の12時過ぎまでぺちゃくちゃとしゃべり、翌日のために仕方なく蚊や蠅がたかっている家の中に入って横になる。扇風機がある家も電気が来なければ、それこそ「展示品」に過ぎない。

北朝鮮の夏の早朝に一番多く見かけられる珍しい風景が、もうひとつある。他でもない、外で寝る人の姿だ。倉庫の屋根や道路のわきなど、人が住んでいる村ではどこでもしばしば見かけられる光景だ。

蚊に気をもむのは家の中も外も同じだ。それでも、外で寝れば暑さも退けることができるので、地面にビニールシートを広げて薄い毛布や掛け布団を敷いて寝る人もいる。こうした姿を見ていると、北朝鮮では人も動物も寝方は同じだなと思われてくる。

夏に当惑するまた別のことは、料理がすえてしまうことである。朝作った料理がお昼になるとすえてしまう。冷蔵庫は数軒に1台あるかどうかだ。そのため北朝鮮の人たちは、忙しいからと言って、料理を作り置きしておいたり、一度にたくさん買ってくることができない。

生計を立てるために忙しく働いている主婦たちが、食事をするたびにおかずを何種類も準備することはできないので、主婦たちは主に塩がたくさん入っているおかずを準備しておく。大根や茄子、唐辛子などの野菜を乾燥させたり、きゅうりや唐辛子、キャベツ、葱、ニンニクなどを漬けてつぼやかめに入れた後、倉庫の床を掘ってつぼのくちまで埋める。

このように、しょっぱいおかずを作ってかめに入れて保存し、少しずつ取り出して食べる。北朝鮮の家庭のこうした食文化は、忙しい主婦の大きな助けになるので、今後も大きく変わることはないだろう。

90年代半ば、数百万人が飢えて死んだ苦難の行軍の後、北朝鮮の人たちは徐々に国家の供給がなくても生きて行くことができる市場経済の原理を悟り始めた。生きるためにあくせく働いて、中には少しずつお金を貯める人も現れた。

こうした人たちは、冷蔵庫や扇風機など必要な品物を買ったが、電気が来ないのであまり使うことができなかった。運転手や通信部門、または一部の力を持っている人たちがバッテリーを買ってきて、テレビを見て電気用品を少しずつ使っているが、そのような人すら政府の取り締まりのため、自由に使うことができなくなった。

今北朝鮮の市場では、扇風機(中国製)が2万5000ウォン〜3万ウォンで販売されている。冷蔵庫は日本製の中古品(300リットル)が20〜40万ウォン程度で売られていて、韓国の冷蔵庫は用量によって100万ウォン以上で販売されるものもある。

北朝鮮の住民が「自体発電機」と呼んでいるバッテリーも、中国製だけ使用が許可された。そのため、12ボルトの中国製バッテリー(自動車用)が30万ウォン程度で販売されている。これもご飯が食べられてお金がある人だけが持つことができるのであって、その日暮らしをしている庶民は想像もできないことだ。

くたびれはてた北朝鮮の庶民にとって、真夏の蒸暑さを癒してくれるのは、自然がくれる木陰と凉しい川の水が全てである。北朝鮮の住民がエアコンの風にあたり、休みをとって遠くに旅行することができる日が一日も早く来ることを願っている。