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2000年1月に中国の延吉で脱北者を助けていた時、北朝鮮の工作員によって拉致されたキム・ドンシク牧師の家族が、キム牧師は拉致されてから1年後に死亡したと語った。

キム牧師の妻であるチョン・ヨンファさんは7日、デイリーNKとの通話で、“先月29日に、中国で宣教活動をしているチャ・オニ宣教師が、’シカゴ聖潔教会36周年復興会で、キム牧師は拉致されてから1年後に死亡した’と言った”と鳴咽した。

キム牧師の死亡の理由についてチャ宣教師は、’キム牧師がキリストを否認するようにという北朝鮮政府の言葉を最後まで拒否して死亡した’と言ったという。チョンさんは“チャ宣教師が最近、中国で北朝鮮の内部消息筋からこうした事実を聞き、私に話してくれた”と付け加えた。

また、“主人が死亡したという話は2005年にも聞いた”と述べ、“主人は2000年頃に強制拉致されて北朝鮮の収容所に入れられ、その後栄養失調と拷問の後遺症で死んだと聞いていた”と語った。

チョンさんは“北朝鮮は主人に、主体思想に転向することを強要して、食事を与えずに、80キロあった体重が急激に減り、死亡前には 35キロしかなかったそうです”と言い、“今後、主人の遺骸の送還運動を展開する”と明らかにした。

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キム牧師の送還運動を展開してきた、ド・ヒユン被拉脱北人権連帯代表は、キム牧師は拉致された翌年に、拷問と健康上の理由で死亡したと、2005年にも主張している。

当時ド代表は北朝鮮内部の消息筋を通じて、“北朝鮮の国家安全保衛部がキム牧師に対するスパイ操作を行い、自ら越北したと言わせようと懐柔を試みたが失敗したため、キム牧師を故意に放置して死亡させた”と述べ、“キム牧師は死亡当時、直膓癌、各種の拷問の後遺症、閉所恐怖症による鬱病、栄養失調で悽惨に殉教した”と明らかにした。

ド代表によれば、キム牧師の遺体は現在、平壌近郊のサンウォン里にある朝鮮人民軍91訓練所の区域内に安置されているという。

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2005年当時、国内のNGO団体はキム牧師事件のすべてを把握している政府に情報公開の要請及び、送還の努力を促すなど、キム牧師の送還運動を行った。一方、キム牧師の拉致に加わった疑い(国家保安法)で拘束され、起訴された中国同胞の金某氏(39)は、2006年3月に懲役5年の刑が宣告されて、国内で服役中だ。