90年代後半から韓国とアメリカのプロテスタント団体の後援で、脱北者支援活動をしていた朝鮮族の金某氏は、「去年の北京オリンピックの時も今ほど大変ではなかった」とため息をついた。金氏はこれまで世話をしていた脱北者たちとの連絡を全て絶った。携帯電話の電話番号も変え、延吉の家を離れて今は敦化の親戚の家に滞在している。外国から来る宣教師やNGO関係者にも一切会わない。自分が世話をした脱北者たちが心配だが、仕方がない。
実際に、金氏のような人は中国公安に逮捕されても、拘束されることはめったにない。普通、中国の貨幣で1~2万人民元程度の罰金を払えば釈放される。問題はこの人たちが捕まると、世話をしていた脱北者も捕まるということだ。こうして逮捕された脱北者は、全員北朝鮮に強制送還される。そのため、今延辺地域の活動家たちは、「まず夕立ちは避けよう」と考え、中国公安の取り締まりが静まることだけを待っている。
金氏に最近の脱北者の現況を聞くと、留まっている脱北者の数が減少しているという答えが帰ってきた。「実際に、2~3年前から新しくやって来る人が随分減りました。捕まって行った人がまたやって来ることが多いですね。彼らにはそれなりに、中国での生存経験があるため、北朝鮮の監獄で釈放されればすぐにここにやって来ます。脱北と送還の過程を何度も経験した人は、最後は韓国に向かいます。最近は中国に初めて来る脱北者はほとんどいません」
アメリカ人女性記者の事件以後、在中脱北者の割合は著しく減少
脱北者の多くが初めて滞在する所が延辺の朝鮮族自治州だ。豆満江沿いに、北朝鮮から川を渡ってくるポイントは主に茂山・会寧・穏城・セビョル・ウンドクだが、国境を越えた脱北者が最初に滞在する所は和竜・竜井・図們・琿春など、延辺自治州の都市である。延辺自治州の中心都市である延吉の外郭と、山が険しいことで有名な汪清も伝統的に脱北者たちがたくさん集まる地域だ。鴨緑江は河幅が広くて、川辺の中国の村に朝鮮族の割合が少なく、90年代後半以後、脱北ルートとして活用されていない。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面そのため、咸鏡北道の住民たちだけでなく、咸鏡南道や両江道などで脱北を決心した人たちは皆、豆満江を選択する。平壌や黄海道地域の脱北者も豆満江に向かう。これ以外に、鴨緑江の上流で北朝鮮最大の都市と言われる恵山と接する長白の国境は、ほとんどが両江道出身の脱北者が利用している。ただし、長白まで安全に脱出しても、第2の経由地が非常に遠いため、豆満江と比べて脱北ルートは多様ではない。
アメリカ人女性記者の事件が起きる前から、在中脱北者の割合は著しく減少してきた。2008年に韓国に入国した脱北者は2809人と毎年ほぼ増加しているが、中朝国境を越える脱北者たちの規模は確実に減っている。もちろん、その規模を正確に推算するのは不可能だが、在中脱北者を支援している現場の活動家たちが、「初めて中国にやって来た脱北者に会うのは、もう夢のまた夢であるほど難しい」と口癖のように言っているのに注目する必要がある。
北朝鮮に送還される脱北者の数が急減しているという点もこれを裏付けている。中国で脱北者送還業務を最も多く扱っている所は図們の拘留場だ。豆満江の国境から送還される脱北者たちの半分以上がここで基本的な調査を受けて、北朝鮮のナミャン税関を経て穏城の保衛部に引き渡される。延辺地域で脱北者支援活動をしているあるNGOは、2月の1ヶ月に図們拘留場から北朝鮮に送還した脱北者がほとんどいなかったと把握している。
朝鮮族社会に広まる「脱北者を助け続けることはできない」という認識
この団体の関係者であるチェ某氏は、脱北者が急減する現象の最大の理由として、「朝鮮族社会の疲労感」をあげた。「まず、中国が持っていた誘引力がほとんど消えました。事実、中国の朝鮮族社会が10年以上脱北者を抱えてきたと言えますが、中国政府の持続的な圧迫と北朝鮮社会の改善が確認されないことから、『疲労感』がたまっています。際限なく助けることはできないというのが朝鮮族社会の反応です。
そのため脱北者は、前のように朝鮮族社会から食糧や医療など緊急救護を受けることが容易でなくなり、中国政府の取り締まりのために、安定した居住地や職業を探すことも一層難しくなりました。朝鮮族を含めた中国社会は、これ以上脱北者たちに同情しません。頭痛の種のように思っているのです」
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面脱北を試みたり、中国で逮捕されて北朝鮮に送還された場合、北朝鮮政府から受けることになる処罰が強化されたことも脱北が減少した理由の1つである。北朝鮮の刑法は「不法越境罪」に対して最低3年以上の「教化刑」を定めているが、韓国に行こうとしたり宗教団体に加入した場合、「スパイ罪」や「祖国を裏切った罪」などを追加して、教化5~10年の刑を宣告する。親戚の助けで賄賂を使って数ヶ月後に釈放される人もいるが、ほとんどの人は北朝鮮での生活基盤や人間関係を全て捨てて中国にやって来た人であり、北朝鮮の残酷な収監生活をそのまま受け入れなければならない。(つづく)