平安北道サクジュ郡の国境近くにある墓が目に入ってきました。誰の墓なのか、どんな事情があるのかは分かりませんが、上に草一本なく、痛々しく感じられます。墓の前に墓石一つ立ててあるのが、幸いだと思わなければならないのでしょうか?
食糧難が深刻だった90年代半ばには、飢え死にした通りの遺体を夜明けにトラックが片付けた時期がありました。積んできた遺体は種を撤くように一度に埋めたといいます。
当時、こうした作業を’直播’と言いました。韓国では田植えをせずに、田んぼに種もみをそのまま撤くことを直播と言いますが、ここでは遺体をそのまま埋めることを直播と呼びました。一つの墓に一人の遺体が入り、墓石が立っている目の前の墓は、それでもよい方だという記者の考えを理解していただけると思います。
北朝鮮の都市の家屋の形態は大部分が、瓦をのせて壁をコンクリートで作った平屋です。何の色もない無彩色の家が荒れはてて、寂しさが漂っています。生活の趣を忘れてしまった北朝鮮の住民の心情をそのまま見せているようです。
山の畑で農業を手伝う子供の姿が痛々しいです。サクジュ郡の住民が今年、沢山の収穫を得られることを願います。また、北朝鮮に自由と豊饒があふれるその日、墓地も家屋も全て、再び立派に作られることを願っています。
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