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1989年7月の朝、平壌の大同江周辺に一人で散歩に出た。案内員は締め出した状態だった。誰が来ても会って話したいというのが切実な思いであった。

ちょうどある学生が隅の階段にうずくまって座って、何かをぶつぶつと覚えているのが目にとまった。控え目に近づいた。

“トンム、こんにちは。私は在米同胞ですよ。朝、散歩に出ました。何をそれほど熱心に勉強しているんですか”

黄色い紙に胡麻粒の大きさの字だ。私の目には見えない。聞いて見たら、小さな紙に多くの内容を書くためだと言った。内容は‘首領様革命史’。他の科目は90点以上ならばよいが、革命史は無条件100点をとったら党員になることができ、また卒業後もよい職場に配置されて、祖国のために命をかけることができる革命事業に参加することができると答えた。

私たちは友達のように並んで座った。その青年はキム・ヨンシク。年は28歳で故郷はピョンャ唐セと言った。金日成大学の物理学部卒業濫?カだ。”将来の希望は物理学者になることなのか”と聞いた。すかさず出た返事が、身の毛もよだつものだった。いや、もしかしたら当たり前の返事であったのかも知れない。“米帝の奴らと戦うために、力をつけないといけないでしょう!”

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韓国の学生たちのデモを同じ学生の立場からどう思うのか、また全国を統一するにはどうすればよいか、と聞いた。 やはり返事は、“米帝のやつらを南朝鮮から追い出さなければならないでしょう!” というものであった。

ところで、もしこの学生をそのままソウルに連れて行ったと仮定した場合、はたして1%でも韓国にとけ込んだ愛国青年として成長して生きて行くことができるだろうか。率直に言って自信がない。首領と党の銃爆弾(鉄砲と爆弾)として育てられた青年が、自由な韓国社会に適応することができるかどうかは分からない。

“案内員なしに外出すれば、逮捕される”

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食事の後、部屋で待機するようにという案内員の伝達を受けた。大同江の川辺でとったビデオを見ていたら、‘キム・ドチル’海外同胞援護委員会書記長代理(次官級)が先頭に立って部屋に入って来た。後に続いて案内員のトンム、キム・ヒョンチョルさんが顔面蒼白で首をうなだれて入って来る。

直感的に‘しまった’と思った。大同江散歩の事件が起こったな。しばらく沈黙が流れた。書記長代理同志が低い声で口火をきった。”チャン先生!今から私が言うことを誤解しないでよく聞いてください”
演説が続いた。

“昨日と今日の夜明けに大同江に散歩にいらっしゃったのに、どうして案内員のトンムと一緒に行かないで一人で行かれたのですか?私たちの共和国では、今世界的な大きな行事(89平壌祝典)を行っています。党はもちろん、平壌市民は共和国へいらっしゃったお客様の身の安全のために最善をつくしています。万が一、祖国にいらっしゃって何かの事故にでもあえば大変ではないですか。特に、アメリカの同胞に対する身辺保護は、親愛する金正日同志も事故がないようにしなさいという指示までなさいました”

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訓示が続いた。 “気ままに出かけないようにという意味ではなくて、一人で出れば第一に、人民が怪しく思って安全部(人民保安省)に捕まることもあるし、第二に、保衛員(国家保衛部)が逮捕して連れて行くこともあり、三番目には軍人が捕まえて連れて行くこともあります”

“ヒョンチョルトンム!”
“はい!”
“トンムは特別に社長先生を安全にしっかりお守りしなさい! 分かりましたか”

“海外同胞総局の指導員との縁、資本主義に関心示す”

平壌市デャ搭謌謔フヨンナム洞に位置した金日成総合大学を尋ねた。大学の案内員が金日成大学の歴史と発展の様子を説明し始めた。

“学生の選抜は全国の各地方から1次で推薦を受けて推薦された学生たちの中から、また中央党で選抜し、競争率が5対1程度になるように調整して、厳格な試験によって行われます。筆記試験が6科目で、面接試験と身体検査を経て、最終選抜することになります。寮は地方から上京して来た学生だけ寄宿させて、平壌市内の学生は通学するようにします”

更に、”1946年10月1日に開校した金日成大学は、現在15の学部と8つの研究所、博士院と準博士院があり、教員は1,200人余り、その外、関連職員が2,800人以上います。学生は 16,000人余りで、学制は4年半と5年半があります”と、聡明に話した。

案内員の説明が終わると質問をした。
“大学を卒業すれば学士の称号を与えますが、ここではどうなさいますか”

“はい、私たちの大学では学士という称号はなくて、専門家の資格を与えます。そして卒業の前に立派な論文を発表して、その論文が認められた時は、“候補準博士”という称号を与えます。そして‘準博士’から‘博士’になります”

海外への留学生は毎年増えており、約150人余りになるという。準博士過程は3年半で、博士課程は2年だ。海外留学で受けた学位は国内で認めてくれるという。

案内員は”金日成大学の卒業生たちは、’新しい祖国の建設’と国の富強発展に大きな貢献をしてきており、党や国家機関、経済、文化機関と、多くの分野の重要な位置で党と革命、祖国と人民のために献身的に闘争している”と説明する。結局、首領に忠実で党のために働くことができるエリートグループを養成する大学だと理解すればよいようだ。