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8月26日と27日に、続いて大型の国家保安法事件が起こった。脱北者に偽装した女性スパイウォン・ジョンファ事件と、社会主義労働者連合(以下社労連)事件だ。社労連の運営委員長は、進歩陣営でよく知られたオ・セチョル前延世大学教授だ。女性スパイ事件は映画よりも映画のような事件で、もう一方は’天然記念物的’事件だ。

保衛部がどうしてスパイを派遣したのか?

ウォン・ジョンファは伝統的なスパイではない。スパイは北朝鮮の労働党対外連絡部などで派遣するが、ウォン・ジョンファは国家保衛部が派遣した。保衛部はスパイを養成する機関ではなく、北朝鮮に住むスパイを捕まえる機関だ。では、どうしてスパイを捕まえる機関が工作員を韓国に派遣するようになったのだろうか。

捜査の結果を待たなければならないだろうが、これまでの政府の発浮?麹?オて見ると、ウォン・ジョンファの第1の目標は韓国の脱北者と連携した北朝鮮国内の住民の捜索だったと判断される。韓国の脱北者と連携している北朝鮮の住民は、北朝鮮の保衛部にとってはスパイだ。彼らの情報を韓国に住む脱北者を通じて把握するために、ウォン・ジョンファが下って来たのだ。もちろん、こうした任務以外に、黄長ヨプなど国家保衛部にとって刺のような存在を除去するという目的もあったと思われる。

すなわち、ウォン・ジョンファは韓国に住む脱北者が1万人を越えるようになり、こうした脱北者が北朝鮮の住民と連携して、北朝鮮の新しい安保環境でできた新種のスパイだと言うべきだろう。この新種のスパイは、伝統的なスパイは保安のために到底できないことも敢然と行う。スパイと見なすには、非常にしまりがない面があるのもこうした理由のためだ。軍に行って親北朝鮮的な講演をしたり、北朝鮮が製作したCDをかけるのは、保安を生命とするスパイとしてはできないことだ。また、韓国でスパイ活動をしながら、故郷北朝鮮の穏城にいる兄弟に会うために2度も出国したことも大胆さを超えて無謀な行動だ。

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一方で、ウォン・ジョンファ事件は統一戦線部をはじめとする労働党の対南部署と国家保衛部が、新しい環境に適応することができていないことを反証している。

保衛部はスパイ養成機能がないにもかかわらず、脱北者1万人という新しい環境で、工作員を派遣しなければならない事情が生じたのだ。だが、保衛部には体系的な工作員訓練プログラムがないため、ウォン・ジョンファのような体一つだけを信じて下った無謀な工作員が誕生したのである。また、北朝鮮では機関どうしの横のつながりが禁止されている。金正日が政権維持のために、垂直統制だけ維持している。そのため、保衛部が党の部署に直接依頼して工作員教育を受けさせることも簡単ではない。保衛部としては、脱北者と連携した北朝鮮の住民はますます増えているため、こうした人たちを捕まえなくてはならないが、直接工作員訓練プログラムを精巧に作って教育させるのもとても大変であるため、こうした無理数が出たと思われる。とにかく今回の事件をきっかけに、保衛部の幹部が更迭される可能性もあるだろう。

博物館になければならないのに世の中に出た社労連

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新しい環境に適応することができない公安機関は、北朝鮮だけに存在するわけでもないようだ。社労連事件を見れば、韓国の公安機関も程度の差はあるが、相変らず時代に追い付くことができていない。

オ・セチョル教授が主導した社労連という組職は天然記念物のような存在だ。20世紀の初めにレーニンが掲げた旗印を、21世紀の先進国の入り口に立った韓国にそのまま持ち込んでいる。かつてニューライト陣営では、左派を守旧左派と反動左派に分けたことがある。60、70年代の福祉国家型社会民主主義を追求する左派が守旧左派で、スターリン的または主体思想的国家社会主義を追求する左派を反動左派と呼んだ。だが、守旧左派と反動左派は、議会主義を認めて合法的枠組みの中で活動するために努力している。

それでは社労連はどのような左派だろうか?筆者の目には、天然記念物的左派のように映る。すなわち、博物館になければならない存在が世の中に出て来ているということだ。社労連は相変らず、ソビエトの階級の民兵対敵思考を持っている。また、議会のやり方ではなく、相変らず“革命的”なやり方に固執している。だが、革命をどのようにしようというのかは明らかでない。彼らが革命をするために武装闘争を準備した痕跡も全くなさそうだ。つまり、社労連は80年代にいくつも整然と並んだ革命的マルクスレーニン主義思想サークル程度の極めてアマチュア的組職ということである。

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社労連は確かに、アナクロニズム的だ。とはいっても、彼らを国家保安法で処罰することは全く別の問題だ。オ・セチョル教授をはじめとする社労連の主な会員は、国家保安法第7条の利敵団体の構成及び利敵表現物の配布の容疑で拘束された。すなわち、利敵行為をしたということだ。

国家保安法に敵が誰なのかは明示されていないが、北朝鮮の金正日政権というのが私たちの社会で共通の認識だ。それでは、社労連と金正日政権はどのような関係なのだろうか。80年代の社会主義勢力の中でも、北朝鮮を見る視覚はめっきり変わっていた。北朝鮮を同志として連帯しなければならない対象と見る人が多くはあったが、北朝鮮政権を労働階級の敵と規定して闘わなければならない対象と見る人も少しはいた。社労連は北朝鮮政権を自分たちの同志ではなく敵と規定している。

社労連のウェブサイトを見ると、“1930年代以後の旧ソ連、東欧、北朝鮮、中華人民共和国などの社会体制を、搾取的で抑圧的な反労働者階級の社会体制で、労働者階級が打倒しなければならない反動体制と規定する”と明示している。

社会主義者ではあっても北朝鮮を敵としているのに、国家保安法を適用するのが果して適切なのだろうか。そして、国家保安法の第1条第2項にも、国家保安法は国民の基本権を制限しない範囲で、非常に厳格に適用されなければならないと規定されている。

“この法律を解釈して適用する際には、第1項の目的の達成のために必要な最低限度に止めなければならず、これを拡大解釈したり憲法上保障された国民の基本的人権を不当に制限することがあってはならない”

アメリカの司法の歴史でも、社労連のようないわゆる‘革命的社会主義者’をどのように法的に扱わなければならないのかという問題が議論になった。アメリカの事例から得ることができる教訓は、現在の南北関係のように、戦時ではない長期的に対峙する時期には、表現の自由は保障するが、暴力を伴う行動の自由は規制しなければならないということだった。

これに対して互いに相反する判例がある。1つは1951年のユージン・デニス (Eugene Dennis)事件で、もう1つは1957年のYates事件だ。

ユージン・デニスはアメリカ共産党の総書記としてスミス法(韓国の保安法と似た法律)によって、アメリカ政府を暴力で転覆しようとしたという容疑で裁判を受けた。本人は否認したが、旧共産党の仲間が、デニスが暴力による政府の転覆を擁護したと証言したことで有罪の認定を受けた。

表現の自由はYes、行動の自由はNo

だが、1957年のYates事件では全く違った判決が出る。Yates事件はオ・セチョル教授の社労連事件のように、14人のアメリカの共産党員に対する判決だった。この判決で、アメリカ連邦最高裁判所は、暴力の使用を扇動(incitement)することと、暴力革命の概念を学習(education of concept)することをはっきりと区分する。つまり、暴力の使用を扇動して実行の計画を立てることは処罰されなければならないが、単にマルクスやレーニンなど暴力革命の概念を勉強して討論することは処罰することができないということだ。14人の共産党員たちは学習の集まりと似ているという理由で、全員に無罪判決が出る。

上のアメリカの判例を見ると、表現の自由と公共秩序の保障はいつも緊張関係にあることが分かる。にもかかわらず、現代になるほど表現の自由の制限にはより厳しい基準を適用しようと努力する跡が多分に伺える。

社労連もアメリカの共産党のように、非常に過激な革命的社会主義を標榜してはいるが、暴力を使ったり武装を準備した証拠が全くない。つまり、思想表現はしたが行動はしなかったということになる。

結論として、筆者は2つの点で社労連を国家保安法で処罰することは不当だと考える。

1つは社労連が北朝鮮を敵として批判しているという点から、利敵行為と見るのは困難だということだ。もう1つは、社労連は表現の自由の領域で、容認されるのではないかという点だ。

特に、李明博政府は先進化を標榜している。先進化はただ 1人当りのGDPの成長だけを意味するものではない。思想や文化の先進化も伴う概念だ。思想や文化の先進国は、例外なしに思想的表現の自由に寛大だ。韓国も互いに容認しにくい思想でも、物理的行動として表出しない以上、大目に見る美徳を育てなければならない。そうした点から、28日のソウル中央地方裁判所の社労連関係者7人に対する逮捕状の棄却は合理的な判断と思われる。