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◆ どこに建てられるのか? = 金日成の銅像は、主に市や道の人民委員会所在地や、金日成の史跡・戦跡地に立てられている。

金日成の銅像の中で代表的なものは、朝鮮革命博物館の前に建てられた銅像だ。1994年に金日成が死亡した直後、各界各層の住民たちが大挙してやって来て嗚咽する姿がテレビで放映され、強いインパクトを与えた。

今は国家レベルの主要行事が開かれる舞台として利用され、党・政・軍の幹部を含めた住民が、金日成と金正日への忠誠を確認する場所としても使われている。北朝鮮政府は平壌を訪問する外国の観光客をここに最初に案内し、献花と参拜をさせる。これ以外にも、金日成が安置されたクムス山記念宮殿の中央ホールに大型の像がある。

また、1996年10月に金日成政治大学に建てられた‘大元帥’の服装の銅像もある。1997年10月と12月にも、南浦市にあるチョンサン協同農場と、金正淑総合軍官学校に金日成の銅像が建てられ、1998年9月に政権樹立50周年を迎え、金正日の指示に従って金日成軍事総合大学に金日成の銅像が建立された。

2000年代に入ってからは、2002年4月に平安南道ケチョン市の革命史跡地と、咸鏡道清津市のラナム区域、10月には平安北道クャ梼sにそれぞれ建てられた。2003年には、平安南道アンジュ市のヨンプン中学校に銅像が建てられた。

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2004年には、金日成の92回目の誕生日を控えた4月12日に、平壌の万寿台創作社に、軍馬に乗って片手で双眼鏡を握っている金日成の銅像を建立
した。騎馬像が立てられたのはこの時が初めてだ。

◆ 金正日の銅像もあるか? = 金日成の銅像が各地に散在しているのとは対照的に、金正日の銅像は、現在国家安全保衛部の酷烽ノ建てられているのが唯一のものだ。平壌のデャ搭謌諠Aミ山に面した国家安全保衛部庁舍の庭にあるというこの像は、1988年に金正日の46回目の誕生日を記念して建立された。‘黄金全身像’として知られている。銅像ではなく、と金像ということだ。

これ以外に、各地方と重要機関にある‘金日成同志革命歴史研究室’には、金正日の石膏像(胸像)が1つずつあり、妙香山国際親善展覧館には大型の石膏座像が置かれている。

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◆ 銅像の制作にはどれだけの資金が必要か? = 銅像の数が正確でなく、大きさと材料がそれぞれ違うため、正確な金額を推算するのは難しい。また、金日成の銅像は金でメッキされているため、銅像の制作だけに金が数百トン必要だったという話は、うわさである可能性が高い。

銅像が金色に見える理由は、金色のスプレーで塗布するからだという。銅で作られているため、雨や風で腐食したり異物がつく可能性が高く、2年に1回ずつ塗布作業をする。

だが、銅像に金が入っている部分もある。落雷を避けるために、銅像の真ん中にささっている避雷針が金で作られている。食糧難がひどかった1997年度に、両江道三池淵郡のチョンボン史跡で、警戒所長だった保衛隊員が、金日成の銅像にある避雷針を抜いて中国に売り、当局に摘発されて尋問されていた時に、首をつって自殺したという話も伝わっている。

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銅像を塗布するためのスプレーはドイツから取り寄せたもので、値段が非常に高い。そのため、金日成や金正日、金ヒョンジクの銅像だけに塗布作業をするそうだ。原材料費と管理費まで合わせると、銅像の制作費用は想像を絶する巨額であると思われる。

また、アメリカの日刊紙’クリスチャンサイエンス’によれば、金日成父子の宣伝物の管理に、北朝鮮の予算の40%が必要だという。最も代表的な偶像化宣伝物は、金日成の遺体が安置されているクムス山記念宮殿で、8億9000万ドルかかった。北朝鮮で数百万人の餓死者が発生した1990年代半ばに、この予算でとうもろこし600万トンを買うことができた。

記念宮殿以外にも、金日成や金正日を崇拜する各種の銅像や革命思想研究室、史跡、戦跡地、現地指導記念碑、永生塔、スローガンの木や、金一家の偶像化宣伝物まで合わせれば、約14万カ所にのぼる偶像化宣伝物があると推定されている。

◆金日成の銅像は誰が作るのか?=金日成父子をかたどった作品は、各道の美術創作社や万寿台創作社の‘1号作品課’で制作されている。1号作品とは、金日成父子の肖像画や銅像、石膏像、バッジ、各種の出版物のことである。こうした1号作品は、‘1号作品課’所属の美術家以外には誰も制作することができない。この美術家たちは、年1回の実技試験にパスした後、万寿台創作社の審議委員から党性や技術を評価されて選抜され、別の証明書を発給された人たちだ。

制作が始まると、緻密な計画に従って作業が進行する。一寸の誤差も許されず、美術家たちは命をかけるという超緊張状態で作業に臨むことになる。制作のために必要な費用は特殊資金と言われ、銀行の特殊資金課から制限なしに支援を受けられる。

こうして作られた銅像は、生きている首領そのものであると見なされ、設置される場所まで運ぶ時は、現地指導と同様に、保衛部や党委員会、人民保安省が総掛かりで車や歩行者を取り締まる。車は一切動くことができず、作品に敬意を示すことになっている。

銅像は住民たちがよく見られるようにするために、電力難にもかかわらず、日没後から夜10時までと、夜明けの4時から日の出まで2回点灯され、毎日夜明けに住民を動員し、銅像とその周辺を掃除させている。

1993年の年初には、金正日の指示に従って、戦争が勃発した時に金日成父子と生母金正淑の銅像、石膏像、肖像画を待避させることができる‘地下保管庫’の建設工事が全国で推進された。

‘地下保管庫’は地下に坑道を掘り、約15~20坪の空間を作った後、ここに首領館、指導者(金正日氏)館、お母様(金正淑)館の3つの部屋を設置したため、‘1号推戴室’と呼ぶ。ここは部屋ごとにカーペットが敷かれて豪華な壁紙が貼られて有時に金日成父子の銅像と石膏像を鉄製の箱に入れて包装した後、運び込むことになっている。