金正日総書記が年数回にわたる軍の視察活動を通じて、北朝鮮軍部の軍事クーデターの可能性を事前に防いでいるという主張が出た。
国家安保戦略研究所のコ・ジェホン研究委員が、‘軍事論壇’の2007年冬号に寄稿した‘金正日の北朝鮮軍部隊視察の動線の分析’という論文で、“1年間に数初?sわれる金正日の軍部隊視察活動や軍の関連行事は、対内的側面でまず金正日が北朝鮮軍を確実に統制、掌握しているという点を誇示するもの”と分析した。
また、“金正日は年40~50回以上にわたる軍の活動を通じて、全国に広がっている北朝鮮の軍責任幹部と数回直接接触する機会を持つ”と述べ、“金正日と軍の幹部の間の人的接触は、中・短期的には北朝鮮軍による反金正日軍事クーデターの計画的な発生が非常に難しいということを意味する”と分析した。
更に、“金正日の北朝鮮軍に対する直接統制は、金正日との距離がすなわち権力の水準を決定する北朝鮮で、北朝鮮の軍部の立場を強化する可能性がある”と述べ、“軍部隊の視察の時、昔と違い、特定の軍幹部の集中した同行視察から、彼らの意見が金正日にある程度作用する可能性もあると思われる”と付け加えた。
コ研究委員は1998年のテポドンミサイル発射と、1999年の延坪海戦、2002年の西海交戦、2006年のミサイル発射実験と核実験など、北朝鮮の主要な軍事行動と金正日の軍部隊視察との関係も分析している。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面コ研究委員は“テポドンミサイルの発射実験があった年、金正日の動線はミサイル製造関連軍事工場の地域に集中し、軍部隊の視察もミサイル発射の近隣地域である咸鏡道地域の駐屯部隊に集中していたと評価できる”と分析した。
また、“テポドンミサイル発射の年の8月31日以後、金正日の初公開活動は9・9節政権樹立50周年を記念して金日成の墓所に参拜したこと”と述べ、“だが、9月にクムス山宮殿を参拜したのは、1998~2006年までたった1回に過ぎない珍しい行動”だったと指摘した。
更に、“これに似た事例として、金正日は2006年の核実験(10.9)の直前である10月6日にクムス山記念宮殿を参拜した”と付け加えた。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面だが、“西海交戦当時は、黄南地域の西海艦隊司令部(南浦)官下海軍部隊や基地を、特別訪問しなかったと観測された”と述べ、“代りに西海交戦勃発の2ヶ月前に、特に功労もない海軍司令官のキム・ユンシム上将を、上将進級5年後に大将にスピード昇進させた”と明らかにした。
また、西海交戦当時の金正日のこうした動線は、2006年のミサイル、核実験の時と明らかな差があると指摘した。
“金正日はミサイル発射実験の1ヶ月前である5月30日から9月15日までの40日以上の潜伏期間を除いた2ヶ月半の間、あわせて30回の公開視察のうち、20回以上東部及び咸鏡南北道の海岸地域の軍部隊に集中させた”と述べ、“最高司令官の動線とミサイル発射・核実験は直接的につながっており、ミサイル発射と核実験があった既に数ヶ月前に、金正日自身が直接すべての事前点検を終えたと見える”と述べた。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面金正日総書記の動線を把握したら、“金正日は西海交戦など、南北関係については相対的に重要だと考えないため、下部機関に委任したが、ミサイル発射と核実験は自らが直接介入して主導的に行ったと見られる”と分析した。