大韓航空機爆破事件とは

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858便はアブダビを協定世界時日曜日の午前0時01分に離陸、インドを横断し、ボンベイ(現:ムンバイ)から始まるアンダマン海上の航空路R468を飛行して、ビルマ(現:ミャンマー)の航空管制空域に、離陸から4時間半後の現地時間午前10時31分(協定世界時:午前4時31分)に到達した。

インドとビルマの境界からラングーン(現:ヤンゴン)の航空管制官に対し「現在37000フィート(およそ10700m)を飛行中。次の”VRDIS”には午前11時01分、”TAVOR”(ビルマ本土上陸地点)には午前11時21分に到達の予定」と報告したのが858便の最後の通信となり、ほぼ定刻通りにバンコクに到着するはずであったが、ラングーンから南約220km海上上空の地点で午前11時22分に機内で爆弾が炸裂し、機体が空中分解した。

パイロットは緊急信号や地上の管制機関に緊急事態を宣言する間もなく、爆発の衝撃で即死したと見られており、乗客・乗員115人全員が行方不明とされ、同年12月19日に全員の死亡が認定された。

 

大韓航空機爆破事件の実行の動機とは

韓国当局は、北朝鮮の関与を示唆しており、翌日の30日午後、韓国政府は日本外務省にバーレーンに入国した「蜂谷真一」と「真由美」という日本人親子のパスポート照会を依頼してきている。更に、同日夜には在バーレーン韓国大使館の代理大使がホテルに宿泊している蜂谷親子に接触し渡航目的などを直接確認もした。

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現地の日本大使館員が同ホテルに出向きチェックアウト直前に蜂谷親子に接触し、パスポートは実在する別人のものであることを突き止めた。にパスポート偽造で改めて2人に事情聴取したところが、取調室で2人は突然、毒入りのアンプルを飲み「真一」は死亡、「真由美」は一命をとりとめた。

この2人は日本人親子を装った北朝鮮の秘密工作員で「真一=金勝一」と「真由美=金賢姫(キムヒョンヒ)」であることが判明した。そして韓国政府の強い要求により12月15日、金賢姫はバーレーンから韓国に引き渡された。

金賢姫は北朝鮮の特殊工作員で、金勝一と共に日本人のパスポートで858便に搭乗。天井の荷物入れにトランジスタラジオにセットした時限爆弾を置いて、次の経由地であるアブダビで降りたことを認めた。

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爆破目的は翌年、韓国で開催されるオリンピックの妨害・阻止であったことを自供しており、命令指示は、金正日朝鮮労働党書記の親筆であったことも判明した。

しかし、北朝鮮は犯行に関して韓国やアメリカ、日本などの陰謀であるとして犯行を全面否認している。

 

大韓航空機爆破事件の実行犯・金賢姫とはどんな人物

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金賢姫は、官僚の娘として生まれ、4歳まで海外で生活をしていた。母は元韓国領土出身で、北朝鮮人と韓国人のハーフである。9歳頃から子役として北朝鮮の映画などにも出演していた。

大韓航空機爆破事件を実行するため、「李恩恵」と呼ばれる女性(日本から拉致された田口八重子さんではないかとされている)に、1981年7月から1983年3月まで東北里2階3号招待所で日本語教育を受け、「蜂谷 真由美(はちや まゆみ)」という名前で日本人になりすました。

事件実行後、バーレーンの警察に捕まる直前に、同じく「蜂谷 真一(はちや しんいち)」という名前で日本人になりすましていた、共犯の金勝一(キム・スンイル、김승일)と共に、煙草を吸うふりをして服毒自殺を図りましたが、金賢姫だけは一命を取りとめた。

その後、大韓民国国家安全企画部(現・大韓民国国家情報院)に身柄を引き渡され、捜査官に尋問される際も、中国語や日本語で返答しなりすましを続けていた。取調べの際は、暴力を振るわれたり拷問を受けたり、最悪の場合は死も覚悟していたが、実際にはそのようなことはされなかったそうだ。

連日の事情聴取で、日本人や中国人であるとするには多くの矛盾点が出てきてしまい、「日本に住んでいた時に使っていたテレビのメーカーは?」という質問に、日本や中国出身者ならば答えないはずの北朝鮮ブランドの「チンダルレ(ツツジの意)」と答えた結果、捜査員になりすましを見破られている。

また、女性捜査員と入浴中に、熱湯をかけられる不意打ちを喰らい、咄嗟に出た朝鮮語により、結局は隠し切れずに自白した。自白後は、聖書を通してイエス・キリストを知り、ソウルの汝矣島(ヨイド)にある中央浸礼教会で受浸し、クリスチャンとなった。

 

大韓航空機爆破事件の実行犯・金賢姫の現在

金賢姫は、1997年にボディーガードだった元国家安全企画部員の男性と結婚しているその後名前をチョンに変え、息子と娘の子供は2人いる。ソウル市内で普通の主婦として暮らしているようです。大韓航空機の件で今だに心を縛れられ苦しまれているかもしれませんね。

旦那は、政府から支給された資金を元手に実業家となり、レストラン・食事処などを経営し始めるも事業に失敗し、離婚したらしい、などという噂もある。

プライベートとはいえ、ボディーガードと結婚するということは、金賢姫側もまだ命を狙われる恐れがあるということかもしれない。

現在53歳となった現在でも、北朝鮮での拉致問題や、政治的事件などが起こるたびに金賢姫は意見を求められている。その様子は、53歳とは思えないほど綺麗だ。

 

大韓航空機爆破事件の真相。金賢姫が恩赦された理由とは

金賢姫は一度は死刑判決がされましたが、1990年に韓国政府による恩赦で自由の身となった後に韓国国内で生活している。

恩赦って何?と思う方もいるかと思いますが、正確には「大統領特別恩赦」というもので、「特赦」と呼ばれることが多い。これは韓国の大統領だけに与えられている特別な権利で、刑罰の全部又は一部を消滅若しく軽減させる制度のことだ。

金賢姫に大統領特別恩赦社が適用されたということは、大韓航空機爆破事件は、彼女は北の工作員として、北朝鮮組織に洗脳され使命を受けおこした事件であり、爆破事件で殺された乗客と同じ、彼女も又被害者であると大統領が認定したということだ。

韓国の大統領が北朝鮮組織に金賢姫が利用されたと認めたということ、乗客はほとんど韓国人労働者だったこと、日本の偽装パスポートを所持していたことは、当然、韓国と北朝鮮、日本と北朝鮮の国際問題となる事項のはずだが、北朝鮮政府は金賢姫事件に一切関知していないと言う立場を主張している。

 

大韓航空機爆破事件はドラマにもなっている

この大韓航空機爆破事件は日本でドラマ化もされています。

大韓航空機爆破事件から20年 金賢姫を捕らえた男たち~封印された3日間~

1987年11月29日、115人の犠牲者を出した「大韓航空機爆破事件」。この事件の裏側を在バーレーン日本大使館員側から見た視点でドラマ化し、関係者のインタビューや当時のニュース映像を交えた構成として作られたドラマかつドキュメンタリー番組が『土曜プレミアム特別企画・大韓航空機爆破事件から20年 金賢姫を捕らえた男たち~封印された3日間~』だ。

フジテレビ系で、2007年12月15日の21:00~23:10(JST)に放送され、視聴率は16.4%だった。

 

大韓航空機爆破23年目の真実

「大韓航空機爆破事件」を、実行犯の元北朝鮮工作員・金賢姫の視点で描いた特別ドラマが『大韓航空機爆破23年目の真実』(29日後9時 TBS系)だ。金元工作員に11時間にわたる異例のロングインタビュー敢行し、彼女自身の視点で描いている。金元工作員が「今…思うと、人間性とか、罪悪感とかそういう感覚は麻痺していました」と涙ながらに真相を明かす姿はまさにドキュメンタリーだ。

 

1987年に大韓航空機爆破事件が発生した際に対南工作部署に勤務していたある脱北者は、「私を含め、対南工作部署の職員は即座に我々が行ったテロだと察した。当時『我々の工作員マユミ事件』と呼んでいた」と述べた。事件当時、実行犯の金賢姫は日本の偽造パスポートを作って活動していた。

北朝鮮は対内外的に爆破行為を認めていない。韓国では、1997年に国家情報院・過去史調査委が北の指令によるテロであることを確認するまでは、韓国の安全企画部の仕業である等の陰謀説が絶えなかった。しかし、住民は北の仕業である事を直感したという。

2日前にデイリーNKが伝えた「金賢姫の家族が清津にいる」を読んだ脱北者は31日、匿名を前提として電話での情報提供を行った。「私が勤務していた対南機関では、爆破事件発生から数日後には、北朝鮮の行為であると察知していた。上部では徹底的に秘密維持を行ったが、北朝鮮当局が数日間に渡って否認していた姿を見て、テロ行為を行った際の対応マニュアル通りだと感じた」と話した。

続いて「対南工作部署に講演を行う為に平壌からやってきた責任幹部らは、しばしば対南テロ行為が北の行動であることをほのめかす発言を行った。一般住民も40代より上の世代はこの爆破事件を知っており、北朝鮮が金賢姫の存在を否定する声明を発表したが、これはむしろ副作用をもたらした」と話した。

金賢姫は北の指令を受けた工作員だという事実を認めながら、「金星中学校在学中に金日成に花束を贈呈した」と自身の履歴を公開すると、北朝鮮は「金星中学校卒業生の中に花束を贈呈した人物はいない」と否定した。

しかし、花束を贈呈する場面を見守っていた数百人に及ぶ住民は、北朝鮮のこの様な発表によって、北朝鮮が嘘をついていると直感したという。

また、金賢姫氏が通っていた平壌外国語大学でも、事件発生後に外信を通じて金賢姫氏の名前が伝わり、教員や生徒の間では「工作員に選抜された金賢姫氏が関連している」との噂が瞬く間に広まったという。

この脱北者は、事件発生当時に同じ学校に通っていた金賢姫氏の弟が周囲から質問攻めに合い、その後すぐに当局の監視が行われ、多くの人は確信を得たと述べた。また、平壌外国語大学の父兄には、中央党、外交部、海外勤務者が多く、噂が即座に広まったという。

この噂が、都市党幹部らが平壌に出張した際に聞き、それを地元に帰った際に広めた事から、全国的に伝えられたという。

住民は「ソウルオリンピックを妨害するために、当局が行った挑発行為だ、という話が広まった程度である」と脱北者は述べた。

事件発生後、金氏の家族は平壌から咸鏡北道清津に強制移住させられ、25年以上も監視網の中で生活している事が分かっている。

事件後、党・保衛機関では、金氏の両親と弟に口外してはならないと明示、周囲の人物らは、金氏一家の家族関係を一切知らなかったという。清津に居住している事実を伝えた脱北者は「弟の嫁も、義理の姉が金賢姫だという事実を全く知らないようだった」と述べている。