先月28日に金正日の告別式が行なわれ、30日に北朝鮮・国防委員会が発表した最初の対南声明は「李明博逆族一味を永遠に相手にしない」というものだった。
韓国政府は「失望した」という反応を見せたが、予想の範囲内だった。任期末の李明博政府と関係改善し保守政権の再創出に寄与するよりは、「南北関係梗塞」を保守打倒の選挙戦略として追求する左派連合への政権交代を望むだろう。なぜなら北朝鮮当局は、北朝鮮の改革開放を諦めた韓国左派の一方的な支援が、北朝鮮政権の生存に大きな助けとなるのを期待しているためだ。
したがって、北朝鮮の敵対的な態度は外見のみ「金正日弔問」と関連があるように見えるだけだ。事実、北朝鮮と韓国内の一部で要求していた「政府の公式弔問」は、北朝鮮の政策変化に決して良い影響も悪い影響も与えることはない。一種の「靴を履いてかゆい部位をかくこと」に過ぎない弔問論争を国家理想の有無の次元で考えるのは「朝鮮半島問題がすでに国「的に非人間化された」という点を忘却した結果であり、それ自体が国家理想の欠如を意味する。ただ、北朝鮮政権と韓国の従北左派らは弔問論争を南北関係梗塞の「言い訳」としてのみ利用するだけだ。
過去の金日成・金正日政権を、関係がこじれた隣の家のおじさん程度の何か些細なことだと考えて無条件的な民族和解を打ち立てる左派の認識は、このような点で単純な妄想に近い。「権力は銃口から出てくる」という信念を先軍政治という公式綱領として採択している北朝鮮の場合、彼らの対南政策を変えうる最も重要な要因は北朝鮮人民の「体制疲労レベル」とこれに対する北朝鮮指導部の「認識レベル」であり、韓国政府が呼びかける求愛のセレナーデや北朝鮮体制に対する強力な批判にあるのではない。
それにもかかわらず、保守・進歩の両陣営のマスコミは、李明博政府の当面の対北課題として北朝鮮との公式・非公式チャンネルの回復を挙げている。例えば、12月31日付の「朝鮮日報」に掲載された、ソウル大のユン・ヨングァン教授(元外交通商部長官)の文章がそうである。しかし、ユン教授は北朝鮮との対話チャンネルが金大中−盧武鉉政権時期とは異なり賄賂や屈辱、一方的なアプローチを通じて形成してはならないという点を忘れている。ユン教授は盧武鉉政権時期に大統領府の門番的な権力者であるイ・ジュンソク前NSC事務次長にKO負けし、長官職を退かなければならなかった。しかし、イ・ジュンソクのように対北政策を遂行し盧武鉉政権が得たのは何だろうか?
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面「ウィキリークス」が話した内容によると、盧武鉉元大統領は2006年8月に数名の報道機関幹部らと会い、「北朝鮮はインドの状況と似ているのに、インドは核保有が容認されて北朝鮮はなぜダメなのか理解ができない。米国が核武器を所有しているとして韓国人が不安に感じるか?北朝鮮の核問題に関して我々ができることは何もなく、次の政府にこの問題を受け渡すしかない。韓国の国防力強化は、北朝鮮ではなく日本と中国を牽制するために軍事的体制を整えること」と述べたという。
このように対北政策の核心を「危機のための柔軟な対北アプローチ」として考える人々の根本的な問題は、彼らの思考の奥深くを自己欺瞞が占めている点だ。まるで一部の消費者がエコ製品を何個か購入すればエコ政策が具現すると勘違いするように、自分では非常に柔軟で理想的だと考える対北専門家らは「韓国が北に柔軟な接近をすれば南北関係そのものも柔軟に変わるだろう」と考えていたり、少なくとも「前者が後者の必要条件だ」という自己欺瞞に捕えられている。彼らは南北関係が望み通りに正常化しなくても「正常化された」と信じてしまう。北の核が破棄されなくとも「北の核は安全だ」と信じ込んでしまう。自己省察の能力がない者たちの典型的な考え方だ。
200万から300万人を飢え死にさせた政権を考察する場合、人間的なアプローチとは無意味で無責任であることが分かる。むしろ、北朝鮮を見る態度として政治工学的、人間工学的な態度が結果的にはるかに人間的である場合もある。したがって、北朝鮮の政策を変化させる最も重要な要素として、北朝鮮住民が感じる体制疲労とこれに対する北朝鮮指導部の認識レベルに関する客観的で信頼できる測定と介入、そして韓国内の世論調節のための適切な宣撫(せんぶ)行為が対北政策のカギであることを理解しなければならない。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面まず平壌以外の地方の場合、長い間配給が途絶え、闇市場の市場経済を通して衣食住を解決しているという点で、地方住民が感じている体制疲労はすでに深刻なレベルだといえる。このような捨てられた北朝鮮住民は、疲れ果てた身体に残っているわずか生産力を軍と権力層のために尽き果てるまで絞り取られる「人間材料」に過ぎない。そして、このように最後の膏血(こうけつ)まで搾取された北朝鮮人民を北朝鮮政権は、外部から食糧支援を受けて着服するためにショーウィンドーの上に立たせている。もちろん、北朝鮮を訪問した国際援助機高ヘ北朝鮮人民が「本当に」食糧難と飢餓に苦しんでいることを確認する。「惻隠の情がなければ人間ではない」という孟子の言葉が自然と口から出るようになる。
こうなると我々は北朝鮮政権ではなく我々自身の道徳性と戦うことになる。「民主義国家である我々が『先民』のために対北協力はすることなく、北朝鮮政局に先軍ではなく『先民』を行なえというのはつじつまが合わない。人間を尊重する我々の政治社会の基本価値観に忠実であろうという話だ」というユン教授の主張は、「北朝鮮惨状のミュージックビデオ」のスイッチを押せば自動で聞こえてくる人間工学の悲鳴だ。
一方、北朝鮮政権の行方を決定するもう一つの要因は、平壌市民の意識である。もし、平壌市民が変化を強く望むならば北朝鮮の閉鎖体制の維持は事実上、不可能となる。よって、北朝鮮政権が解決しなければならない急務のうちの一つは、平壌市民の利害関係と北朝鮮体制の存在条件を一致させることだ。このために北朝鮮政権は特別な配慮を通して平壌市民の暮らしを相対的に楽にし、相対的に正常化されなければならない。北朝鮮政権はまるで、手足が麻痺しても目と手だけコンピューター娯楽にハマって苦痛を感じることのできないなら「幸せにあふれた暮らし」が可能であるかのように考えている。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面北朝鮮からの二重の風景は事実上、平壌以外の地方と平壌からの二つである。時には深刻な貧困の風景とともに、中国はもちろん韓国や外国産のぜいたく品をいくらでも購入することができる豊かな風景が北朝鮮から垣間見える。金正日の告別式にはリンカーン・コンチネンタルからベンツに至る最高級車が並んだ。韓国ではこの有名なドイツ製車を一度も乗ったことのない人は筆者の他にも数え切れないほどいる。
この二つの異なる風景が持つ意味ははっきりしている。大部分の人民を飢えるまで放置することで衣食の面で政権の重荷を減らし、平壌の特権層を舞台装置の盾として使用して体制保衛を図っている。しかし、この貧困と豊かさの姿は北朝鮮の永遠の風景ではない。貧困と豊かさは、体制に対する多数人民の無関心と体制の核心階層の背反によって変わる可能性もある。片足は引きずっても付いてこず、もう片方の足も自分勝手に動いた場合、その体制は終わる。
このため、李明博政府を「永遠に」相手にしないという北朝鮮政権の態度に対し、政府は一喜一憂する必要はない。北朝鮮が今まで口にしてきた「永遠に」という副詞を集めて全て並べようとすれば、おそらく「永遠の時間」が必要となるだろう。重要な点は韓国政府が独自的に行なえる強力な介入政策を準備することだ。
まず配給が途絶えた北朝鮮の地方住民らが直接恩恵を得ることのできる食糧・医療支援方案を講じなければならない。国際機高?ハじて、または配給の透明性を確保するという前提で民間団体の助けを得ることも可能だ。貧困に苦しむ北朝鮮住民らに直接アプローチすることが最も望ましいが、不可能である場合は次善の策を取る必要がある。
必要に応じて、脱北者の個人送金ルートを使用することもできる。もちろん、食糧援助の場合、北朝鮮政権、平壌の特権層または軍部で相当部分を横取りする可能性が濃厚だ。よって、北朝鮮が配給の透明性の改善を受け入れないならば北朝鮮に対する食糧支援は無意味だ。しかし、食糧支援の場合、配給過程の損失をある程度まで受け入れるのかは実に決定を下しにくい問題だ。大切な点は現在上昇している北朝鮮の食糧価格を下げることだ。
必ず食糧支援とペアで同時に行なわなければならないのは、平壌市民の意識変化に必要な情報提供である。ここでの情報提供とは、北朝鮮の体制崩壊を要求する敵対的な内容ではなく、韓国や世界のニュース・文化・娯楽番組を伝える程度で十分である。つまり、平壌の特権層が韓国の対北情報から実質的な利益を得るようにしなければならない。
言いかえれば、平壌市民らに自らが現在享受している特権と体制変化が起きた際に受ける恩恵を比較できる機会を提供し、より多くの特別待遇を北朝鮮政権にさせなければならない。東ドイツでのホネカーに反対する市民運動の背景もこれと同様で、東西ドイツの生活水準の差が存在した。
この点で、南北の体制競争はまだ終わっていない。「バカのような外部の政治勢力」に対して声を高め「北朝鮮の体制変化は決してない」とするポスト金正日支配集団に、我々は悔しがることも残念がることもない。体制競争というのは、本質的に南北の人民が相手の体制の現実を知ってこそ始まりうるものであり、また終結が可能である。韓国はもはやはっきりと公開的に北朝鮮人民と直接疎通する方法を見つけなければならない。
最後に、北朝鮮人権法の通過のために李明博政府は最善の努力を費やさねばならない。ハンナラ党であろうと野党であろうと北朝鮮人権法の通過には関心が無いが、もしかすると19代国会や次期政権にこの問題が渡らないことに共通の理解がある可能性もある。もちろん、北朝鮮人権は荒れ狂い、脅迫が乱発するであろう。しかし、金正日の死後「門を閉めて強盛大国の侮Dをかける」という現在が北朝鮮人民のための制度的装置を既成事実化する意味で最適な瞬間だ。
特に、北朝鮮人民に対する支援や情報提供、そして北朝鮮人権法の必要性を韓国の20〜40代の階層に広く知らせる必要がある。平壌市民を主な対象とする情報提供は北朝鮮社会の意識と無意識の中に入り込んでいくだろうが、だからといって決して非倫理的であったり正当性が欠如するものではない。いったい、コミュニケーションを通してあるがままに知らせようというのに何の反対があるだろうか?今はコミュニケーションが話題の時代ではないのか?さらに、敵対的な内容ではなく韓国と世界の姿を北朝鮮人民にそのまま伝達するのを韓国のどんな理念集団が、また世界のどの国が問題視することができるだろうか?
もちろん、北朝鮮政権は脅迫と更には対南挑発を強行する可能性があり、総選挙と大統領選挙を前にして票に目がくらんだ政治家たちが「戦争危機」云々で反対する可能性もある。しかし、北朝鮮の脅迫と対南挑発は、北朝鮮人民と直接疎通する努力をせずに北朝鮮政権に対する太陽政策を実行したとしても首領体制の国「と北朝鮮社会の階級差により常に生じることになっている「朝鮮半島の定数」だ。
よって、李明博政府はどの政派の利害関係にも依存せず、また2013年に次期政権を誰が取るとしても決して取り戻すことのできない程に、確実に対北食糧支援体系、強力な情報提供インフラ、北朝鮮人権保護体制を構築しなければならない。
すでに従北左派と野党連合はもちろん、ハンナラ党からも反李明博として現政府と距離を置くと明らかにしただけに、むしろ来年1年は李明博政府にこれまで気を配り出来なかったことを果敢に実行に移すことのできる良い機会だ。今までの「あなたが○○○すれば、私は△△△する」という式のアプローチは、過大妄想患者の金正日を扱う有効な対北政策だった。しかし、金正日死後元年といえる2012年は、北朝鮮人民との直接疎通チャンネルを他方の反応にこだわらず堂々と構築する一年になる必要がある。