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米国は、北朝鮮が洪水などの自然災害で食糧難が深刻だった1995年冬を乗り越えられない可能性があると予想していた事が確認された。

この事実は、ウィキリークスが公開した1995年11月3日付の米国務省の電文「北、風前の灯火の危険性(North Korea:Danger in the Wind)」で明らかになった。

電文は北朝鮮の状況について、「経済的な困難と政治的な麻痺は、現在の北朝鮮政権が冬を超える事が出来るかについて疑問を提起している」と分析した。

「北朝鮮指導部内の実用主義者らがジュネーブ合意に基づく具体的なメリットを可視化出来ない場合、経済が疲弊した状況と悪化した食糧不足によって、軍部強硬勢力の勢力拡大を招きかねない」と予想した。

続いて「北朝鮮軍部は、『現代化された人々』ではない。彼らの勢力拡大は、緊張を高め戦争の危険性を大幅に高めるだろう」と展望した。

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「指導部内に軍部の意図に対する懸念があるという証拠がある」と付け加えた。

このような評価は、当時の国務省東アジア・太平洋局の主導で行われたものであり、これらの電文は韓国など関係国大使館に参考資料として提供された。

1990年代半ばに北朝鮮で食糧難などから200万〜300万人が死亡する事態が発生したが、米国内では北朝鮮崩壊論が提起された。今回の電文は、このような評価に米政府も同様の見解を持っていた事を示している。

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一方、2008年4月29日の駐韓米大使館の電文によると、金泳三元大統領は、1994年にクリントン政権に寧辺核施設の爆撃計画を思い留めさせた点を後悔した。

電文によると、金前大統領は当時のバシバウ駐韓米大使との昼食会で、「あの当時、米国の行動が思い留めさせていなければ、核問題は解決されていただろう」と述べ、6カ国協議を通じた核問題の解決に否定的な見解を示した。

金前大統領は、「当時、1994年にペリー国防長官は、寧辺の核施設に対する攻撃を望んでいたが、私がそれを引き止めた。振り返って見れば、爆撃を許可していれば良かったと思う」と発言していた。

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北朝鮮の1次核危機当時に、クリントン政権の爆撃計画を金泳三大統領が阻止したのは有名であるが、張本人が後悔しているという事実が始めて公開された。

また電文では、金前大統領が「北を信頼出来るだろうか、(核問題解決のための)6カ国協議のプロセスが重要な結果をもたらす事が出来るかについても、悲観的な考えを明かした」と付け加えた。