“体制を認める”という正確な語法の要求
南と北が呼吸を合わせて力を注ぐ象徴操作の志向点は、平和と経済協力、統一などで飾られる。このすべてのスローガンは非常に肯定的な価値を持つように見えて、そのものを否定することは”戦争狂”、”化け物”という非難を浴びやすい。
また、平和や経済協力、統一は全て、相手の存在を前提にする概念なので、当然、北朝鮮体制の存在及び安定を自動的に要求するように見えて、盧武鉉大統領が晩餐で“北朝鮮の体制の安定のために、金正日総書記の健康のために”と乾杯したと伝えられているのも、実はこうした脈絡からである。盧大統領にとって現在、朝鮮半島で最も重要なことは、倒れ掛かった金正日体制の安定した維持であり、合意文の内容もどんな美辞麗句を書き連ねても、全体主義の北朝鮮体制の救命を強調するにすぎない。
ここに北朝鮮体制に対する、親北朝鮮左派の執拗な粉飾行為が介入する。すなわち、親北朝鮮左派は、南と北は’仲を裂かれた’隣人、あるいは親戚、あるいは兄弟と言う。しかし、誰がどんなことをしてきて、また現在しているのかについては全く言わない。彼らが語るのはひたすら隣人、親戚、兄弟間の和睦であり、“我が民族どうし”という言葉がまさしくそうである。
特に悪いことをしていなかったら、もう少し譲歩して、今はしていなかったら、仲違いした兄弟の間に友愛を回復することは非常に望ましいことだ。だが、全体主義の証拠である絶滅収容所を現在運営している、’アリラン’よりも優先してギネスブックに上がらなければならなかった、金父子世襲の北朝鮮版封建的ファシズムの“体制を認める”というには、非常に正確な語法が求められる。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面すなわち、北朝鮮の人民の生命と人権のためには、その統制者である金正日体制との対話が不可避だという意味だけでの‘北朝鮮体制の認定’は、道徳的に正当化され得るが、“人民が主権を持って幸せに住む所”として北朝鮮体制を認めるのは言語道断なことである。
しかし、平和や経済協力、統一は全て、わずか2ヶ月後には事実上消滅する盧武鉉政権の専有物ではない。大韓民国の憲法は自由民主主義体制での平和な統一を、そして市場経済を明示している。そしてそれは、論理的に首領独裁、封建世襲のファシズムである‘北朝鮮体制の消滅を前提’にしている。
韓国の親北朝鮮左派と金正日政権の共通点は、前にも触れたが象徴操作であり、それはこうした政権や体制維持の最も重要な手段だ。’アリラン’の創作を命じた金正日のことを偉大な“音楽政治家”と労働新聞は伝えているが、やはりその先例はワーグナーの’マイスタージンガー’(Meistersinger)を、40万人を収容できるニュルンベルク殿堂の大会場で、サーチライトによる光のショーと共に演出したヒトラーだった。
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だが、千年王国を洛セしたヒトラーの大型の体制宣伝劇も、金日成の民族の不滅の未来を叫ぶ’アリラン’も、実はまったく同じ人間の愚かさの変形に過ぎない。それはすなわち、権力と永生に対する虚栄だ。歴史家や哲学者ではなくても、権力と命がはかないことが真理であるように、象徴操作も結局は死が終りを告げるものである。
数日前、筆者にある生物学の教授がこのようなことを言った。“原始時代に、ひと目で他人を知る方法は、相手の肌を見ることだった”
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面テレビ放送を通じて伝えられた金正日の顔には、年齢に比べて病弱そうな色がはっきりと現れていて、やつれて青白かった。金正日が否定したくても、病気の影がその顔を深く覆っていたのはどうしようもない。