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1990年代に北朝鮮を襲った未曾有の食糧難「苦難の行軍」。多くの人たちが餓死から逃れるために家を出て食糧を求めてさまよった。家に取り残されたり、両親が餓死してしまったりした多くの子どもたちが、ストリート・チルドレンと化した。

「流浪」や「さすらい」を意味するロシア語「コチェビエ(кочевье)」に由来する「コチェビ」の名で呼ばれる彼らは、駅前や市場をうろつき、物乞いや盗みをしながら生き延びてきた。

北朝鮮で最も弱い立場に置かれたコチェビは、保安員(警察官)に暴力を振るわれることも少なくない。

咸鏡南道(ハムギョンナムド)の情報筋は、コチェビとなった11歳の少年のことについて語った。

何らかの理由でいなくなってしまった母親を探し求め、家を出た彼は、いつしかコチェビとなった。彼は、コチェビを取り締まる保安員に殴られ、口の周りが血だらけになった状態で故郷の咸興(ハムン)に送り返されてきた。

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しかし、治療を受けようにも病院に行くカネがない。傷を放置していると、そのうち唇の皮膚が腐り落ち、敗血症を発症したのか、現在は生死の境をさまよっているという。

北朝鮮では今月10日、国会議員選挙にあたる最高人民会議の代議員選挙が予定されている。各地では選挙の雰囲気を盛り上げるための宣伝活動が行われている。コチェビは「選挙の雰囲気にそぐわない」(情報筋)として、次々に逮捕、連行されているが、11歳の少年は、その過程で保安員に暴行されたものと思われる。

北朝鮮国民に対して傍若無人の限りを尽くしてきた保安員や保衛員(秘密警察)だが、金正恩党委員長の指示もあり、以前に比べればおとなしくなったと伝えられている。しかし、コチェビを相手にする場合は例外のようだ。

(参考記事:「もしかしたら人権侵害かも…」庶民の逆襲を恐れるようになった北朝鮮の警察官

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保安署(警察署)や市の人民委員会(市役所)が共同でコチェビを取り締まり、他の地方から流れて来たことがわかれば、列車に乗せて送り返している。しかし、途中で列車から飛び降りて逃亡したり、また戻ってきたりするため、「コチェビの統制はほぼ不可能ではないか」(情報筋)と言われている。

当局が、コチェビ対策を講じていないわけではない。各地に愛育院、育児院、中等学院などの施設を建設し、コチェビを収容してはいるものの、暴力、劣悪な施設や食糧事情、厳しい統制に耐えかねた子どもたちが次々に逃亡を図り、街頭に戻っている。また、冬の寒さを避けて、より温暖な地域に次々と集まってきているとの話もある。

国際社会の制裁が、新たなコチェビを生み出している。咸鏡北道(ハムギョンブクト)にある茂山(ムサン)鉱山は操業ができなくなり、従業員に給料が払えなくなり、食糧配給もできなくなった。従業員らは次々にヤマを去っているが、中には子どもを置き去りにする事例もあるという。