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1953年7月27日の休戦協定締結後、昨年まで57年間で北朝鮮の挑発の事例は200件に達したことが分かった。挑発がなかった年はわずか5年に過ぎなかった。

国防部が3日、国会の国防委員会所属の未来希望連帯のソン・ヨンャ搭c員に提出した「休戦以降の北朝鮮の主要な挑発についての現況」資料によると、休戦以降、北朝鮮の主要な挑発事例(停戦協定の主な違反)は、合計221件であり、この中で実際の武力挑発行為は26件だった。

これは、国連司令部の軍事停戦委員会と連絡団が2010年に発刊した「軍事停戦委員会の手引き(第8集)」をもとに作成され、挑発タイプを▲武装人員、艦艇、航空機が相手の領土、領海、領空を侵犯した行為▲相手側の人員、艦艇、航空機に対する射撃などの敵対行為▲重火器の非武装地帯の搬入行為▲共同警備区域内の武器の発射や拳銃の脅威などに分類した。

特に、各年の挑発件数を見ると、50年代は10件、60年代に78件、70年代は35件、80年代は18件、90年代は45件、2000年代は2010年の天安艦事件と延坪島砲撃を合わせて35件となった。

このうち、実際の武力挑発は、50年代に1件、60年代に6件、70年代に2件、80年代に3件、90年代に9件であり、2000年代には、昨年、天安艦爆沈と延坪島砲撃を合わせて5件で計26件だった。

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主な武力挑発の事例としては、1958年のKAL機爆破事件、1967年に海軍の艦艇PCE-56艦が襲撃、1968年のキム・シンジョ一党による青瓦台奇襲事件とプエブロ号ハイジャック事件、蔚珍三陟武装共産軍侵入事件と大韓航空のYS-11機ハイジャック事件、1969年の米EC-121偵察機の襲撃事件などだ。

また、1970年代では70年の国立墓地爆破事件、76年の板門店斧蛮行事件(ポプラ事件)があり、1980年代には、83年にビルマ・ラングーン爆破事件、87年の金賢姫KAL機爆破事件などが代表的である。

これ以外にも、武力挑発が最も多かった1990年代には91年に武装警備艇白リョン島近海の侵入。96年の東海の潜水艦侵入。96年の東海武装共産軍の浸透。97年の警備艇NLLアクセス艦砲射撃。97年の大成洞住民の強制拉致。98年の東海座礁の潜水艇1隻曳航と東海の武装スパイの死体の発見。南海半潜水艇浸透。99年第1次延坪海戦などがある。

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これらと関連して、ャ搭c員は「金正恩が三代世襲に向けて、昨年3月26日天安艦爆沈と11月23日の延坪島砲撃の攻撃を行ったのは、独裁権力の父子世襲の過程で浮黷體T型的な行動だ。今後、北朝鮮は韓国内に様々なテロ強行と東西部前線そして西北諸島や東海など様々な形の挑発と攻撃を敢行する可能性があることから、軍当局は、これらに徹底的に備えなければならない」と強調した。