北朝鮮国営の朝鮮中央通信は13日、金正恩党委員長が雲谷(ウンゴク)地区総合牧場を視察したと伝えた。
同通信は牧場の視察に、「朝鮮労働党中央委員会の黄炳瑞(ファン・ビョンソ)第1副部長、党中央委員会の趙甬元(チョ・ヨンウォン)、呉日晶(オ・イルチョン)、金勇帥(キム・ヨンス)の各副部長、国務委員会のキム・チャンソン部長が同行した」と伝えた。
元軍総政治局長の黄炳瑞氏は昨年、10月12日を最後に北朝鮮メディアでの言及が途絶え、失脚説が伝えられていた。その後、今年6月30日に金正恩氏の視察に同行したことが報道されたが、肩書は党中央委の「幹部」となっていた。今回、ほかの同行幹部より先に党中央委の「第1副部長」と紹介されたことから、北朝鮮最強の権力機関とされる党組織指導部の第1副部長に就任したものと見られる。軍よりも党を重視している金正恩氏の最近の姿勢を考えると、むしろ「栄転」とも言える復活劇である。
金正恩氏は叔父の張成沢(チャン・ソンテク)元党行政部長や玄永哲(ヒョン・ヨンチョル)元人民武力部長らを粛清し、容赦なく処刑した。張成沢氏の粛清に際しては、愛人の元トップ女優をはじめ、一説に1万人もの人々が連座させられた。(参考記事:【写真】女優 キム・ヘギョン――その非業の生涯)
また玄永哲氏は、文字通り人体を「ミンチ」にされる残酷な方法で殺された。(参考記事:玄永哲氏の銃殺で使用の「高射銃」、人体が跡形もなく吹き飛び…)
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このことから「粛清」イコール「処刑」であるとイメージも強いが、必ずしもそうではない。いったん粛清されても、復活した事例はかなり多いのだ。変わったところでは、次のようなエピソードもある。
韓国に亡命した太永浩(テ・ヨンホ)元駐英北朝鮮公使が近著『3階書記室の暗号 太永浩の証言』(原題)で明かしているところによれば、北朝鮮外務省では1990年代の第1次核危機に際し、それをどう乗り切るかについて意見の対立があった。その過程で、ひとりの外務省幹部が責めを負わされ、金正日総書記の怒りを買って粛清された。といっても処刑されたわけではなく、外務省から放逐され、地方へ追いやられたのだ。
その幹部が飛ばされた先は、首都・平壌にも近い平城(ピョンソン)市だった。やがて北朝鮮は、「苦難の行軍」と呼ばれる大飢饉に見舞われ、10万人単位の餓死者を出す事態となる。この際、北朝鮮国民は破たん状態に陥った国家の配給制度に見切りを付け、自力で生き延びる道を模索する。そのようにして発生したのが「チャンマダン」と呼ばれた闇市で、やがてその最大のものが平城に出現した。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面粛清後も不屈の根性を保っていた件の幹部は、妻とともに、その市場でパン屋を開いた。そのパン屋は評判となり、広く知られるところになったという。太永浩氏はそれ以上の詳細に触れていないが、幹部夫婦は「苦難の行軍」を息抜き、経済的にも潤ったと思われる。何事にも生死のかかる北朝鮮だからこそ生まれた、骨太のエリート像を見るような話だ。
高位幹部の中にも、いったん粛清されても簡単には死なない面々がいる。黄炳瑞氏の場合、現在の上司に当たるのは崔龍海(チェ・リョンヘ)党組織指導部長だ。変態醜聞で評判の悪い崔龍海氏に、黄炳瑞氏が取って代わる日も近いかもしれない。(参考記事:美貌の女性の歯を抜いて…崔龍海の極悪性スキャンダル)
高英起(コウ・ヨンギ)
1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 、 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 、 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。