一例を挙げると、製紙工場、建材工場、協同農場、金正日氏の母親である金正淑氏が利用していた船着き場と革命史跡記念碑などがあった会寧(フェリョン)市の望陽洞(マンヤンドン)は、一面泥の海と化してしまった。川沿いに立っていた国境警備隊の哨所(監視塔)も多くが流され、兵士多数が死亡したと伝えられている。あまりの惨状に、市民は復旧に立ち上がる気力すら失っている。
また、米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)によると、豆満江の支流、会寧川沿いにある会寧市の江岸洞(カンアンドン)でもすべての住宅、公共施設が流され、人口1000人のうち、200人が死亡または行方不明となっている。茂山、穏城も同様の惨状で、昨年に羅先で起きた水害の何倍もひどいと言われており、民心は荒んでいる。
氷点下20度の冬
金正恩氏は、朝鮮労働党創立記念日の10月10日まで復旧を完了せよとの指示を出しているが、1ヶ月ですべて終えられるのか疑問だ、あまり期待できないとの声が現地から上がっている。