- 第14収容所で1982年に生まれたシン・ドンヒョク氏は、抑留中はいつも食べ物が不足して飢えていたと証言した。収容者たちは動物を飼育しコメを植えていたが、これらを食べることは許されず、配給されたものしか食べられなかった。シン氏によれば1日にとうもろこし粥を400グラムしか与えられず、生き延びるために草やネズミを食べた。
- 1990年代の飢饉の前においても、キム・ヘスクさんの7人家族は月1回、4.5キロの乾燥とうもろこしを与えられるだけだった。第18政治犯収容所で生き延びるためにほかの食べ物を必要とした。飢饉時には配給がさらに削減され、一日中強制労働に服している大人にしか配給されなくなった。キムさんの祖母は餓死し、疲れきった母親は食べられる野草を取ろうとして崖から転落した。
- 2003年から第15収容所に収容されていたチョン・カンギル氏とキム・ユンチョル氏によれば、収容者には1日3回、とうもろこし粥120グラムが与えられただけだった。特別な日にはスープに豚肉が入っていた。労働の成績が悪いと食べ物を半分にされた。
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収容所の方針として、反抗した収容者には短期間で餓死する程度にまで食べ物の量を減らした。調査委員会が聞取調査を行った元収容者は、収容所の食べ物は労働成績不良、作業中に怪我したこと、収容所規則への違反の罰としてしばしば半減されたと証言した。元担当官は、かかる食べ物減らしは看守の研修時に配布された指示書に詳細に記載されていたと述べた。