• 大同江の南岸にある第14収容所のそばの北倉郡(平安南道)に所在した第18収容所には、1990年代後半には5万人の収容者がいたとみられる。第18政治犯収容所も第15政治犯収容所の改革区域と似ており、少なくとも収容者の一部はイデオロギーが改造されたと認められれば早期釈放もあり得た。第18政治犯収容所は徐々に縮小され、平安南道北倉の施設は2006年に閉鎖された。現在は、元の第18政治犯収容所の敷地内に短期懲役囚が収容されている。第18政治犯収容所の生存収容者の大半は釈放されたとみられるが、他に行く所がないため収容所施設内で生活を続けることを選択した者も多い。第18収容所の収容者のごく一部は釈放されていない模様である。彼らは第14収容所と隣接する近くの山谷(平安南道价川郡)の新設収容所に移送された可能性がある。
  • 第17政治犯収容所は徳城(咸鏡南道)に所在し、人民保安省の前身である社会保衛庁が運営していた。この収容所は1980年代中頃にいったん閉鎖された。一部の証人によれば、1990年代の終わりごろ、shimhwajo に関連した大量の新規逮捕者に対応できなくなったため、キャンプは一時的に再開された。
  • 社会保衛庁は咸北南道端川に第19収容所を設けていたとの報告がある。この収容所は1990年ごろ閉鎖され、収容者の大半は釈放された。咸北南道タクソンの第23収容所も社会保衛庁が運用していたが、1987年に通常の刑務所に改変された。
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収容所を直接に訪問することができないため、さまざまな時点での正確な収容者数を推定することはきわめて困難である。1982年に韓国国家情報局が提出した最も早期の推定では、収容者数は10万5000人としている。衛星画像および元看守、収容者の証言に基づいて非政府組織が行ったその後の推定では、1990年代から2000年代の初めの収容者数は15万人から20万人である。

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調査委員会への報告提出者はおおむね、ここ数年のうじに政治犯収容所の収容者数は減少したとしている。韓国統一研究院(KINU)の推定では、現在の政治犯収容所の収容者数は8万人から12万人である。この値はKINUが最新の衛星画像分析および証人からの証言に基づいて導き出したものでああり、第18政治犯収容所からの収容者釈放および第22政治犯収容所の収容者の消息不明状況を取り込んでいる。非政府組織である北朝鮮人権委員会(HRNK)も収容者の正確な数は8万人から13万人程度であろうとしている。これらの推測人数は、2011年の北朝鮮人権データベース・センター(NKDB)の予測とも合致する。同センターの予測では、収容所の収容者数を少なくとも13万500人としているが、第22収容所の閉鎖および第22政治犯収容所の収容者の消息不明状況は取り込んでいない。

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