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祖国解放戦争(朝鮮戦争)の時期、朝鮮人民軍の連隊長、軍事副師団長として米帝の武力侵攻を粉砕して戦争の勝利を収めることに大きく寄与し、金日成主席の副官長として朝鮮革命を守るうえで特出した功績を立てた。

戦後の時期から朝鮮人民軍の連合部隊、大連合部隊の指揮メンバーを経て護衛部隊と最高司令部の重要な職責を歴任して、全軍に最高司令官の唯一的軍指導体系を確立し、朝鮮労働党のチュチェの軍事路線を貫徹し、チュチェの革命偉業、先軍革命偉業を無敵の軍事力で確固と裏付けるために献身的にたたかった。

同氏は、チュチェ55(1966)年10月から党中央委員会委員候補、チュチェ59(1970)年11月から党中央委員会委員、チュチェ51(1962)年から最高人民会議代議員に選挙され、チュチェ69(1980)年10月からチュチェ99(2010)年9月まで党中央軍事委員会委員、チュチェ79(1990)年5月からチュチェ92(2003)年9月まで国防委員会委員として活動した。

党と革命、祖国と人民に積み上げた優れた功労によって3の金日成勲章、金正日勲章と金日成主席のネーム入り腕時計表彰、共和国2重英雄称号、労働英雄称号をはじめ高いレベルの党・国家表彰を授かった。