「観光開発」で揃い踏み

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日韓両政府は1971年8月の「第5回日韓定期閣僚会議」での合意をきっかけに、協力して済州島開発に着手する。同会議に通産相として出席したのが、後の首相・田中角栄である。

そしてその進展を受け、「ナッツ姫」の祖父・趙重勲(チョ・ジュンフン)率いる大韓航空は1976年、PR紙で次のような宣伝を打つ。

「カジノパラダイス、済州島に堂々完成! 大阪・福岡よりKAL(大韓航空)でひとっ飛び。済州島にKALホテル全三階フロア―に最高級カジノとして6月ニューオープン。楽園済州島へのお越しを……」

Jo_Osano
小佐野賢治氏(左)と趙重勲氏

当時、KALホテルの建設・運営に当たっていた韓日観光開発は、KALと旧三和銀行系の日本開発の合弁会社だった。三和は、“小佐野銀行”とまで言われるほど小佐野賢治と近かった。

済州島開発を巡ってはほかにも、東声会会長・町井久之(鄭建永)の関与が取り沙汰されていた。

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