日韓国交正常化からこれまでの間に、韓国経済は世界でも稀に見る高度成長を遂げた。その“元手”となったのが、国交正常化に際して日本が提供した無償3億ドル・有償2億ドルの経済支援であったのは論をまたない。
1961年5月、クーデターで政権を掌握した韓国の朴正熙(パク・チョンヒ)少将(後に大統領)は、1951年に予備会談が開始されて以来、10年以上にわたり難航していた日韓国交正常化交渉を一日も早く妥結させ、日本の賠償金で経済復興を成し遂げることを急務としていた。
交渉打開の糸口を探るため、韓国中央情報部(KCIA)が頼ったのが、海軍特務機関出身の児玉誉士夫や、戦時中に上海で「大陸新報」を発行していた、国策研究会常任幹事の矢次一夫だった。
日韓漁業協定で繁栄した下関
満洲国の元高官だった岸は、そうした人脈の仲介でKCIA幹部の崔英沢(チェ・ヨンテク)と赤坂の料亭で面会。ふたつ返事で協力を約束し、政界の根回しに動いた。
そういった経緯を考えれば、岸は韓国経済にとっての「大恩人」と言えるのかもしれない。