米国務省は今月、金正恩党委員長が、北朝鮮の人権侵害に加担しているとして、制裁対象に指定した。北朝鮮にとって、最高尊厳である金正恩氏が名指しで制裁対象となるのは容認できるわけがなく、猛反発している。その一方で、米国や国際社会の「人権攻勢」は、ボディブローのように効いているようだ。
米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)によると、北朝鮮当局は、保安員(警察官)に対して「法規違反者の取り締まりの過程における度を超した暴力を自粛せよ」との内部指示を下したという。
女子大生に拷問
これまで北朝鮮の治安機関は、国際社会からの批判や反発を顧みず、平気で北朝鮮国民の人権を無視してきた。何らかの容疑で住民を逮捕、摘発した場合、取り調べでの拷問は基本中の基本だ。つい最近では、女子大生が、韓流ドラマや外国映画の動画ファイルを保有したという些細な容疑で、せい惨な拷問を加えられ悲劇的な結末を迎えた。
また、国民を明確な法的根拠もなく逮捕したり、正式な裁判を経ずに「この世の地獄」と称される収容所送りにする。さらには、不足する労働力を確保するため、通行人に言いがかりを付けて逮捕、労働鍛錬隊に送り込んで強制労働をさせるなど、北朝鮮の警察組織は「人権侵害の総合商社」だ。
報復で妻子まで惨殺
人権侵害が仕事と化している北朝鮮の保安員だが、とりわけひどい悪徳保安員が存在する。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面両江道(リャンガンド)の情報筋によると、金正淑(キムジョンスク)郡保安署に勤務しているキム・チョルという名の保安員は、中朝国境に面した地域を担当していることを悪用し、麻薬の密輸や人身売買を行っていた。
ある住民からの通報で、その悪行の数々が明るみに出て、彼は内陸の保安署に追放されたが、しばらくして彼が金正淑郡に戻ってきた。幹部に、密輸で儲けた巨額のカネを幹部にワイロとして送ったことが功を奏したようだ。
キム・チョルは、金正淑郡に戻るや否や、通報した住民に対する報復を開始。訪ね、暴力を振るい、ついには殺してしまった。そればかりか、家族にもぬれぎぬを着せ、教化所(刑務所)送りにしてしまった。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面別の情報筋によると、普天(ポチョン)郡保安署の署長の息子で、麻薬取締を担当する627国境監察課のリ・スンヒョク室長も、キム・チョルに負けず劣らずの悪徳警官だ。
実績を上げて上役の覚えをよくするためなら、他人の人生を台無しにすることなど、何とも思っていない。教化所から出所したばかりの人に、でっち上げた「脱北未遂事件」の罪をなすりつけ、逮捕するほどの悪徳ぶりだ。
あまりにもひどいやり方に、住民の間からは激しい怒りの声があがり、その怒りは保安署を含めた司法機関全体に向けられている。しかし、治安機関に人権を侵害されたとしても、救済措置のシステムすら存在せず、怒りのやり場を失った住民が、保安員に対して報復に出るケースも続出している。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面北朝鮮当局の「暴力を自粛せよ」という指示の背景には、国際社会の圧力だけでなく、治安機関の度を超した暴力が、様々な問題を引き起こしていることがあるようだ。しかし、RFAの内部情報筋は「そんな指示を保安員が守るわけがない」と不信感を露わにしているという。
そもそも、北朝鮮は暴力による住民統制で、体制を維持してきた。金正恩氏が独裁体制を維持するためには、多かれ少なかれ治安機関の暴力は不可欠だ。国際社会の警告に気を遣っているふりは出来ても、金正恩氏に暴力的な治安システムを根本的に変えることは不可能だろう。
高英起(コウ・ヨンギ)
1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 、 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 、 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。