56年前の今日、「金正恩伝説」は日本で始まった

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今から56年前の今日(1959年12月14日)、在日朝鮮人ら975人を乗せた帰国船2隻が新潟港を発った。それから6年後の1962年10月、大阪・鶴橋生まれの10才の少女が、両親に連れられ帰国船で北朝鮮へ向かう。

少女の名前は、高姫勲。のちに高ヨンジャ、そして「高ヨンヒ」と名前を変える。そして、故金正日総書記の妻となり、現在の最高指導者・金正恩氏を生む。

1950年代からはじまった在日朝鮮人帰国運動で、高ヨンヒ氏を含む約9万人の在 日朝鮮人、そして日本人妻が北朝鮮へわたった。北朝鮮がめざましい発展を遂げているというウソに騙されたためだが、それも無理はなかった。何しろ当時は「産経新聞」でさえ、北朝鮮を絶賛していたのだから。

高ヨンヒ氏の経歴を辿ると、ほかにも意外な事実がみつかる。

熱烈な社会主義者の家庭と思いきや、彼女の父は戦中、日本の軍需工場で働いており、戦後は日本と韓国を往来する密航船の運営で大儲け。数人の愛人を抱えていた。

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北朝鮮に渡ることを決心したのも、密航船が摘発され、日本政府から強制退去の命を受けたからだ。

北朝鮮で、地方の工場に配属された高ギョンテク氏だが、娘の高ヨンヒ氏(この時は高ヨンジャ)が万寿台芸術団に入団。そこで金正日氏に見初められたことで、一家の運命は大きく変わる。高ヨンヒ氏は1973年の日本公演時に故郷に「凱旋」しているが、それができたのも、彼女に惚れ込んだ金正日氏の配慮によるものだった。

その後、彼女は表舞台から姿を消し、正哲(ジョンチョル)、正恩、与正(ヨジョン)を生む。そして、次男の正恩氏は2011年に金正日氏の後継者として登場するが、既に死亡していた高ヨンヒ氏がその晴れ姿を見ることはなかった。

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母親が、北朝鮮で「敵対階層」とされる在日朝鮮人の出身であり、外祖父は日本の軍需工場で働いた「親日派」だった――そんな歴史に北朝鮮当局が触れられるはずもなく、正恩氏の「偶像化教育」をせねばならない教育現場が混乱に陥っているとの話も聞く。

ともあれ、正恩氏はこうしたネガティブな要素をことごとく跳ね飛ばし、最高指導者の座に収まったわけだ。

金正恩氏の実母・高ヨンヒ氏の経歴にまつわる様々な謎は上述のとおり、デイリーNKの数年に及ぶ独自取材で、ほぼ明らかになった。

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しかしさすがに、彼女が権力中枢の住人となった後の実像は追いきれない。そう思っていたら、彼女のすべてを知る人物――高ヨンヒ氏の実妹で金正恩氏の叔母にあたる高英淑氏が、韓国で訴訟を起こしたとのニュースが飛び込んできた。

米国に亡命した高英淑氏は北朝鮮からすると「お尋ね者」だが、訴訟でどのような事実を明かすのか興味深い。

いずれにせよ、高ヨンヒ氏に関してデイリーNKは、北朝鮮本国が決して入手できない資料や確実な証言を得ている。もし、金正恩氏が、例え都合が悪くても自分のルーツ、そして母親の足跡を知りたいというなら、いつでも提供する考えだ。

高英起(コウ・ヨンギ)

1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

脱北者が明かす北朝鮮 (別冊宝島 2516) 北朝鮮ポップスの世界 金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 (宝島社新書) コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記