北朝鮮当局は、国際社会からの人権侵害批判を意識してか、ここ2~3年は公開処刑を控える傾向にあった。ところが、今年2月以降に複数回の公開銃殺が執行されたと、デイリーNKの内部情報筋と米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が伝えている。
北朝鮮は、どうしてここへ来て公開処刑を再開したのだろうか。気になるのは、経済制裁の影響である。1990年代半ばからの大飢饉「苦難の行軍」の期間中に、公開処刑は激増したとの説もある。国民生活の困窮が秩序の乱れにつながり、それを当局が恐怖心で抑え込もうとしたからだと思われる。
(参考記事:「死刑囚は体が半分なくなった」北朝鮮、公開処刑の生々しい実態)北朝鮮専門のニュースサイト・NK朝鮮の2001年3月23日付の記事で、脱北男性のチョン・ナムさん(28=当時)は北朝鮮・咸鏡北道(ハムギョンブクト)の穏城(オンソン)郡に在住していた当時、次のような人々が公開処刑されたと証言している。ちょうど「苦難の行軍」に当たる時期である。
「1996年からの2年間に、私が直接見た公開処刑の死刑囚は、大豆を盗むため殺人を犯した22歳の青年、協同農場の牛を殺して市場に売り飛ばした47歳の男、6カ月間に数回に分けてトウモロコシ60キロを盗んだ除隊軍人、他人の物を盗もうと走行中の列車の屋根から人を突き落とした32歳の炭鉱労働者、工場の物資を横流しした31歳の女性経理職員などだった」
殺人は別としても、牛や穀物の窃盗、物資の横流しで極刑になるとは、日本社会の感覚ではとうてい、理解できないものだ。逆に言えば、当局が極刑をもって臨んでも、こうした犯罪を抑止できなかったということだろう。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面一方、脱北男性のキム・ウンチョルさん(32=同)も同様に、NK朝鮮に対して次のように証言している。
「最も記憶に残るのは96年、新義州(シニジュ)の飛行場近くにある公開処刑場で行われた除隊軍人の男女5人の公開銃殺だった。女性2人は20代後半の美人だった。男たちと一緒に電線を切って中国に売り飛ばして逮捕された。若い女性が杭に縛られ、銃で撃たれて死ぬ姿を見るのはものすごく気分が悪かった。電線を切ったのは大きな罪ではあるが、あのように殺す必要があるのかと感じた」
キムさんは公開処刑という行為に対して疑問を感じると同時に、電線の窃盗が「大きな罪」であるとの認識を語っている。社会の窮乏が行くところまで行くと、罪科の軽重や人の生命に対する感覚に、重大な影響が及ぶということなのだろうか。