かつて、北朝鮮は犯罪の少ない国だった。皆が等しく貧しくて、決して豊かな国ではなかったが、食料品から住宅に至るまでが国からの配給で賄われ、少なくとも食べるのに困ることはなかったのだ。ところが、1990年代後半の未曾有の食糧危機「苦難の行軍」に前後して配給システムが崩壊し、餓死者が続出した。
生きるために市場で商売する者もいれば、犯罪に走る者もいた。極度に悪化した治安対策として金正日総書記は「犯罪者はその場で処刑せよ」という荒っぽいやり方を指示した。
それから20年経ったが、未だに犯罪が蔓延していることを考えると、金正日氏の治安対策が成功したとは言えないようだ。市場経済化の進展で極端な格差社会となった北朝鮮では、むしろ新しい形の犯罪が多発している。
(参考記事:家庭も平気で破壊する「アレに狂った主婦たち」の暴走)平壌のデイリーNK内部情報筋が伝えてきた最近の事例は、身代金目当ての誘拐事件だ。
キム容疑者(42)と甥のチン容疑者(22)は、平壌市平川(ピョンチョン)区域の鳳鶴洞(ポンハクトン)にある金星商店支配人の4歳になる孫娘を誘拐、母親に電話をかけ「娘を誘拐した、2日以内に2万ドル(約227万3000円)をよこせ。さもなくば娘を殺す」と身代金を要求した。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面一般労働者の平均的な月給は3000北朝鮮ウォン(約39円)、市場での商売で得られる収入を合わせてもせいぜい50万北朝鮮ウォン(約6500円)前後という北朝鮮において、2万ドルは天文学的な額だ。
しかし、「金星商店支配人にとって2万ドルは大金ではない」(情報筋)というのだ。金星商店とはどのような店なのだろうか。
タワーマンション団地の未来科学者通りに近い、平壌の党幹部、政府高官、富裕層が住む高級住宅地に店を構える金星商店は、国家保衛省(秘密警察)幹部の夫人たちが投資して立ち上げた高級外貨商店だ。地下にはプール、1階にはレストランとカフェ、2階と3階には衣類やアクセサリーショップがある。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面店には多くの富裕層が訪れ、贅沢三昧の消費生活を楽しんでいるが、そんな店は金星商店だけではなく平壌市内にごまんとある。脱北者で韓国・東亜日報のチュ・ソンハ記者は、新刊「平壌資本主義百科全書」で、最高級幹部を父に持つ男性の話を紹介した。
「本当の金持ちはシャネルを好む。(金正恩党委員長夫人の)李雪主(リ・ソルチュ)氏もシャネルが大好き。私の妻はバッグ、化粧品はもちろん、パジャマまでシャネルだ。もちろん偽物ではない。触ってみればすぐにわかる(中略)平壌には存在しないブランド品はほとんどないが、意外なことに『ルイ・ヴィトン』は少ない。偽物なら多いが」
このような平壌富裕層の暮らしが、外国人の目に触れることはほとんどない。観光客が案内されるのは、国内産の商品が多く売られている中産階級が利用する商業施設だ。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面支配人親子は犯人に要求されたとおり2万ドルを準備する一方で、保安署(警察署)に通報した。それを受けて、平壌市と近接地域のすべての10号哨所(国家保衛省管轄の検問所)に対して緊急手配令が下された。
それが功を奏し、2人の犯人は孫娘を連れて平壌と南浦(ナムポ)を結ぶ青年英雄高速道路を経由して南浦市の江西(カンソ)郡に向かう途中だった28日午後、10号哨所で逮捕された。南浦在住のキム容疑者は、土地勘のある地元に孫娘を連れて行こうとしたものと思われる。
孫娘は無事家族のもとに戻った。2人の容疑者は江西保安署で取り調べを受け、公開の裁判を受ける予定だ。情報筋は保安署予審課長の話として「10年以上の懲役判決が出るだろう」と伝えた。
ちなみに、刑法278条(誘拐罪)は最高刑を10年以上の労働教化刑、加重処罰を定めた刑法附則第8条では、罪状が非常に重い場合の最高刑は無期労働教化刑または死刑と定めている。
容疑者の動機、背景などは明らかになっていないが、凄まじいまでの北朝鮮の格差社会が生んだ事件と言えよう。