韓国南部・密陽(ミリャン)の病院で26日午前7時半ごろ、火災が発生した。韓国メディアによると、入院中の患者ら41人の死亡が確認された。韓国では昨年12月に、中部の堤川(チェチョン)でビル火災が起き、29人が死亡した。
2014年4月に起きたセウォル号沈没事故以来、韓国の安全行政の不備は国際的な関心事となってきたが、未だに抜本的な改善がなされていないことが露呈した形だ。
ちなみに北朝鮮では、これらをはるかに凌駕する規模の事故が多発している。
たとえば中国との国境地帯にある慈江道(チャガンド)の江界(カンゲ)市で1991年、ミサイルや砲弾を製造していた軍需工場が大爆発を起こし、多くの死傷者が発生した。当時、北朝鮮にいた人の間では有名な話だが、海外ではあまり知られていない。
米国の北朝鮮専門ニュースサイト、NKニュースが最近、事故発生当時に江界在住だった脱北者の証言を引用し、事故の顛末を詳しく報じている。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面スカッドなどの弾道ミサイルをはじめ、年間約2億発をはるかに超える弾薬を製造し、1000人以上が働いていたこの工場は、父から子、子から孫に引き継がれる巨大な「エンジニア王国」の様相を呈していたという。その工場が一夜に消し飛んだというのだから、事故がいかに深刻なものであったかがわかる。
(参考記事:【目撃談】北朝鮮ミサイル工場「1000人死亡」爆発事故の阿鼻叫喚)ちなみに1980年代には、在日本朝鮮人総連合会の韓徳銖(ハン・ドクス)議長が工場を訪問したが、見学できたのはごく一部で、製造部門の見学は許されなかった。それほど厳重な保安体制になっていたのだ。
彼は腹を立てて、金日成氏に「自分は信用に足る人間だ、見学を許可して欲しい」と直訴した。これに対して金日成氏は「工場の規則は非常に厳しい、従わなくてはならない」と諭し、この工場の重要性を説いたという。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面北部山間地域にある慈江道には、軍需工場が密集しているため、他の地域の人が立ち入ることも、道民が他の地域に出ることも厳しく制限されている。
この26号軍需工場の爆発事故は歴史に残るものだが、それでも最大ではなかった。朝鮮日報は以前、咸興(ハムン)出身のキム・スンチョル氏の証言を引用し、1979年に起きた北朝鮮史上最大と言われる爆発事故について伝えている。
証言によると、軍需工場の17号工場で製造された火薬25トンを積んだ貨物列車5両が停車中だったが、そこに火が付いた。2.8ビナロン工場、ヨンソン機械工場などに向かう通勤客が野次馬となった。ちょうど通勤列車が到着した時、大爆発が起きた。列車、駅舎はもちろん、近隣の住宅地も吹き飛ばした。3000人が死亡し、1万人が負傷したとされる。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面このような例は、少し規模を小さなものまで含めれば、枚挙に暇がないほどだ。それもこれも、北朝鮮の独裁体制の人命軽視が下地になっているのである。
高英起(コウ・ヨンギ)
1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 、 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 、 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。